#14 「優しさと残酷さを併せ持つ戦国のアイデアマン」織田信長

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第14話

織田信長 (1532年〜1582年)
安土桃山時代の武将

織田信長ほど、後年の評価が様々に変わった偉人もいません。「庶民に優しい人だった」「裏切り者は許さない残虐な男だった」と両極端の逸話が残されています。

有名なところでは、美濃と近江の国境近くの山中に住んでいた「山中の猿」と呼ばれた男の話。「山中の猿」は身体の不自由があり、街道沿いで暮らしていたいわゆるホームレスだったと言います。織田信長は岐阜と京都を行き来する際に、彼の姿をよく見かけ、村人を集め、木綿を与え「これを金に換えて、小屋を建ててやれ。そして、飢えないように麦や米を与えてやって欲しい」と頼んだそうです。

しかし、一方で、黒田官兵衛が裏切ったと判断すると、人質であった秀吉の息子の処刑命令をすぐに出してしまうといった残虐とも言えるエピソードも知られています。もっとも、この時には官兵衛が監禁されていたと知ると、「官兵衛に合わせる顔がない」と深く恥じ入ったという記述も残っています。

どちらにしても、これらのエピソードは織田信長の人への深い関心が根本にあるのかもしれません。本来は、庶民に優しい気持ちを持った人格者であり、しかし、人の上に立つうちに家臣たちの一挙手一投足が気になって仕方がなくなってしまう。良くも悪くも周囲の人たちとの関係に自らも振り回されていく、という側面があったようです。だからこそ、後の歴史学者たちも目の付けどころによって評価が変化してしまうのかもしれませんね。

庶民と一緒に踊り、庶民とともに相撲大会を楽しんだ姿は多くの文献に記述されています。また、お盆の時期には安土城のあちらこちらに灯りを付け、いまでいうライトアップを施し庶民を楽しませたそうです。そんなアイデアマンとしての一面を知ると、天下人・織田信長への興味が増していくような気がします。

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