#35 「誰からもつかまえられなかった謎の小説家」J・D・サリンジャー

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第35話

J・D・サリンジャー(1919年〜2010年)
『ライ麦畑でつかまえて』で有名なアメリカの小説家

2019年はサリンジャー生誕100年ということで、サリンジャーの伝記映画が公開されたり、何かと話題になりました。サリンジャーと言えば、『ライ麦畑でつかまえて』。世界中で6000万部以上が販売されたと言われている青春小説のバイブルです。逆に、これ以外にサリンジャーがどんな小説を書いたのか、知っている人のほうが少ないのではないでしょうか。

実は1951年に『ライ麦畑でつかまえて』を発表してから、サリンジャーが刊行した作品は『ナイン・ストーリーズ』『フラニーとゾーイー』『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』くらい。その他に雑誌に書かれた短編がありますが、ほとんどが『ライ麦畑でつかまえて』以前の作品です。つまり、サリンジャーは1951年から約10年間、売れっ子作家として小説を書いて以降、ほとんど隠遁生活に近い暮らしぶりだったのです。

『ライ麦畑でつかまえて』のなかで、「稼いだお金で森のすぐそばに小屋を建てて誰とも馬鹿らしい会話をせずに死ぬまで暮らす」という理想が語られますが、サリンジャーはそれを実践するかのように、ニューハンプシャーのコーニッシュに土地を買い、そこで暮らし始めたのです。

でも、その頃のサリンジャーは本当の意味での隠遁生活を送っていたわけではありません。地元の人たちのパーティーに参加したり、近所の高校のバスケットボールやフットボールの試合は欠かさず観戦していたそうです。しかし、ある日、その高校の生徒が「学生新聞のインタビュー」と称して取材を申し込んできました。快諾したサリンジャー。が、その記事は学生新聞ではなく地元新聞のスクープとして掲載されてしまったのです。

サリンジャーは以降、約2メートルの高さの塀を家の周りに巡らせ、人付き合いを断ちました。壊れそうにナイーブな少年の移ろう感情を活写したサリンジャー。そんなサリンジャーにとって高校生の仕打ちは、大きな裏切りと映ったのかもしれません。また、そんなサリンジャーだからこそ、いまなお多くの青少年の心を揺さぶる小説が書けたのでしょう。1965年に短編『ハプワース16、1924』を発表すると、サリンジャーは作家業からも完全に引退。2010年1月、91歳で老衰で亡くなりました。

タイトルとURLをコピーしました