#36 「たった51台の車をつくり歴史に名をとどめた男」プレストン・トマス・タッカー

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第36話

プレストン・トマス・タッカー(1903年〜1956年)
アメリカの起業家、発明家であり、自動車デザイナー

プレストン・トマス・タッカーは、タッカー・トーピードと名付けられた自動車を作り上げたことで知られています。しかし、タッカー・トーピードは1947年の終わりから1949年の初めにかけてわずか51台しか作られませんでした。たった51台しか作られなかった自動車が、多くの人々の記憶に残り、いまなお数億円という高額で取引されているのはなぜでしょう。それは、タッカーが作り上げた自動車が、当時としては画期的な装備と美しい流線型のボディで人々を魅了したからです。

タッカー・トーピードはそのほとんどが1948年に作られたため、タッカー’48と呼ばれています。主な特長はモダンな流線型のボディ、アメリカ初のリア・エンジンの搭載、大人6人がゆったりと乗車できる広い室内、アメリカ初の4輪独立懸架も採用、さらにハンドル操作にあわせ照射角度を変えるヘッドライトなどなど。デザインにも安全性能にも様々なアイデアを盛り込みました。最終的には不採用となりましたが、いまでは必ず装備されているシートベルトの採用も検討されていました。

たった一台だけの試作品が完成した段階で、タッカー’48は大人気となり大きな反響がありました。また、代理店になりたいという販売会社からの問い合わせも殺到。しかし、タッカーの革新的な自動車への反響は、GM、フォード、クライスラーのビッグ3には脅威となり様々な妨害を受けることになりました。悪評を立てられたタッカー社はローンを使う許可を得られず、さらに詐欺罪で起訴されてしまったのです。

無実を証明するために政府は、タッカーに対して年間51台の車を生産するように命令。タッカーはこれを実現し無罪を勝ち取ります。しかし、すでに政府からの融資は打ち切られタッカー社は倒産へと追い込まれたのです。

アメリカンドリームの国で、夢を握りつぶされたタッカーはその後も「フォードさえ、最初は失敗しているじゃないか」と発言して、新しい事業を構想していたそうです。しかし、新たなアメリカンドリームに挑戦する前に、タッカーは53歳の若さで急逝。タッカーの実現しなかった夢に対する人々の思いは強く、いまなお47台ものタッカー’49が現存し、彼の夢を語り継いでいるのです。

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