#37 「夢の国をつくりあげた男の本当の夢」ウォルト・ディズニー

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第37話

ウォルト・ディズニー(1901年〜1966年)
アメリカのアニメーター、プロデューサーでありディズニーリゾートの創設者

ウォルト・ディズニーは幼い頃から絵を描くことに興味を持っていました。高校を卒業すると美術専門学校に通い絵を学びます。そして、様々なキャラクターを生み出した後、22歳で兄のロイとともにディズニー・カンパニーを立ち上げました。

ディズニーの最初のヒットはウサギをモチーフにしたオズワイルド。このオズワイルドを主人公にしたアニメは瞬く間に人気を得て、ディズニー・カンパニーは急成長します。しかし、ビジネスに疎かったディズニーの隙を突いて、配給会社はオズワイルドの版権を横取り。大手の権力を行使され、ディズニー・カンパニーは資本もスタッフも失い、会社は倒産寸前にまで追い込まれました。

そこで、誕生したのがミッキーマウスでした。スピーディーな演出とポップで可愛い作画によって、ミッキーマウスは一躍大人気になりました。それに加えて、先の失敗に学び、版権についても厳重に管理。「世界一著作権にうるさい」と言われるディズニーの礎がここに完成したと言っても過言ではありません。

そんなディズニーがディズニーランドを作ろうと思ったきっかけをご存じですか? それは自分が子どもたちと一緒に遊園地に行った時の体験です。娘たちが回転木馬に乗って楽しそうに遊んでいるのを眺めていたディズニー。なぜ、自分だけがポップコーンを食べながら寂しく娘たちを眺めているのだろうと思ったそうです。「そうだ。親も一緒になって楽しめる場所を作ろう」。そんな想いがディズニーランドが生まれるきっかけになりました。

テーマパーク、映画、テレビアニメと、人々に夢を与えたいと精力的に活動したウォルト・ディズニー。しかし、その夢を実現するための資金を得るために、原子力開発キャンペーンのためのプロパガンダ映画に参加したり、倹約のためアシスタントを低賃金でこき使うなどの一面もあったようです。

それでも、家族が一緒に楽しめるディズニーランドをつくりたい、と思った気持ちは死ぬまで揺らぎませんでした。彼は死の間際にこんな言葉を遺したそうです。「ディズニーランドは永遠に完成しない。世界に想像力がある限り、成長し続けるだろう」と。死後50年以上たった現在もディズニーの言葉通り、世界中で彼が見た夢はまだまだ拡大しています。

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