世界を動かした非常識人列伝 第41話
マハトマ・ガンディー(1869年〜1948年)
インド独立の指導者
1948年、偉大なるインド独立の父・ガンディーが銃弾に倒れ葬儀が行われました。棺にのせられた遺体は8キロ先の火葬場へと運ばれました。その道はバラとジャスミンの花で覆われ、何十万人もの民衆が別れを惜しんだのです。さらに、インドの空軍は空からバラの花びらをまき、ガンディーの死を悼みました。
ガンディーがここまで慕われ惜しまれたのは、彼が人間的な魅力を兼ね備えていたからに違いありません。非暴力を武器にインドの独立を牽引したということで聖人君主のように言われることが多いのですが、子ども時代は自由奔放であったことをガンディーは自伝にも書き残しています。
成績がふるわなかった小学校時代には不良と付き合い、ヒンズー教で禁じられていた肉食やタバコも経験し、果てはタバコ代に困って盗みを働いたこともあったそうです。しかし、やがてガンディーは菜食主義と宗教に目覚め、指導者として成長していきます。そんなガンディーだからこそ、人は変われるのだ、ということを信じて疑わなかったのかもしれませんね。
さらに非暴力運動でインドを独立に導いたガンディーですが、その思想は決して消極的なものではなく、自分のなかの臆病さや不安を乗り越えることから始まるのだ、という確固たる信念がありました。ある時、ガンディーはこう言いました。「臆病と暴力のどちらかを選べと言われたら、私は暴力を選ぶだろう」。
しかし、ガンディーはこうも続けたのです。「私は非暴力は暴力よりも優れており、許しは罰よりも勇気が必要なことを知っている」と。 このどこまでも力強く前向きな考え方が、非暴力によるインド独立を成し遂げさせ、同時にガンディーは偉大なる父として多くの人々に記憶されているのです。