#42 「飛行機と戦い、時代と戦った兄弟の話」ライト兄弟

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第42話

ウィルバー・ライト(1867年〜1912年)
オーヴィル・ライト (1871年〜1948年)
動力飛行機の発明者で世界初の飛行機パイロット

ライト兄弟と言えば、1903年に世界で初めて動力飛行に成功した人物として知られています。兄はウィルバー・ライト、弟はオーヴィル・ライト。19世紀末の時代には、すでに蒸気機関車や車が普及し、水上では蒸気船が走っていました。しかし、空を飛んでいたのは熱気球を発展させた飛行船があるばかり。飛行機はまだまだ実現していない時代だったのです。

そんな時代にライト兄弟は自転車屋を営みながら研究を続けました。そして、ついに兄弟は1903年12月17日、アメリカ・ノースカロライナ州キティホーク近郊のキルデビルヒルズで友人動力飛行に成功したのです。飛行機の名前はライトフライヤー号。1回目は12秒で約36.5m、2回目が12秒で約53.3m、3回目は15秒で約60.9m、4回になると飛行距離はグンと伸びて59秒で約259.6mだったそうです。ライト兄弟はこの成功によって輝かしい栄光に包まれると確信していました。

しかし、現実は違っていました。飛行成功後の彼らを待っていたのは争いと妬みの日々だったのです。民間から現れたヒーロー・ライト兄弟に特に反発したのはスミソニアン教会会長のウォルコットでした。彼は二人の偉業を決して認めず、スミソニアン博物館航空史にもライトフライヤー号を展示しなかったのです。

その後、イギリスの博物館がライト兄弟の功績を称え、ライトフライヤー号を展示。やがて、イギリス旅行をしたアメリカ人からの「なぜ、アメリカにライトフライヤー号がないのか」という声が世論となり、スミソニアン教会がライト兄弟の偉業を認め、ワシントンの国立博物館にライトフライヤー号は帰ってきました。

ただ、そんな妬みと嫉妬にまみれたゴタゴタの間にも、アメリカの国民はライト兄弟をしっかりと称えていたのではないでしょうか。1903年の初飛行時にはたった5人だった観客ですが、その6年後、兄弟の飛行機がニューヨークの空に現れた時に見守っていたのは約100万人のアメリカ国民だったそうです。

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