#43 「経営の神様は人を見つめていた」松下幸之助

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第43話

松下幸之助(1894年〜1989年) 
パナソニック(旧・松下電器)を一代で築いた経営者

松下電器、いまのパナソニックを一代で育て上げた松下幸之助。彼は経営の神様と呼ばれていました。丁稚奉公からスタートして、日本経済に大きな影響を及ぼすまでに成長した企業グループの創始となったのですから、そう呼ばれるのも当然のことだったのかもしれません。しかし、彼が経営の神様と呼ばれたのは、その人柄に対する社員みんなからの深い尊敬の念があったからです。

松下幸之助が最初に「自分一人のことを考えていたのではだめだ」と思ったのは、まだ10歳前後で自転車屋で丁稚奉公をしていた頃の話です。来客の度にタバコを買いに行かされていた幸之助は、これでは効率が悪いとタバコをまとめ買いしました。こうすればすぐにタバコを渡せるし、何しろ単価が下がって小銭も貯められます。しかし、丁稚仲間からは反発を買い、店主からもやめるように勧められたのだそうです。この時、幸之助は「ひとり勝ちはよくない」と気付いたと言います。

以降、幸之助は人を大切にする、という気持ちを忘れませんでした。昭和の初め頃、世の中が不景気に陥り、倉庫が在庫で溢れたことがあったそうです。当時の側近が「従業員を半減して、生産を半減するしかない」と苦言を呈しました。すると、幸之助は長く考え込んだ後に涙を流しながらこう語ったそうです。「ええ時はどんどん人を採用して、いざという時は社員を整理してしまう。大をなそうという松下としては、それは耐えられんことや。曇る日照る日や。一人と言えども辞めさせたらあかん」と。

結果、工場は半日操業し、従業員は半日勤務。しかも、幸之助は給与は全額支給したのです。 従業員たちは幸之助の決断に歓喜しました。喜んだ店員たちは休日を返上して販売に回り、工場幹部たちも昼からは販売に出る。そして、わずか2ヵ月で倉庫の在庫は空っぽになったのです。松下幸之助が経営の神様と呼ばれたのは、「不景気になったら人を切る」という当たり前をよしとせず、目の前の社員を大切にしたからこそなのです。

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