#44 「すべてを小説に捧げていた男」太宰治

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第44話

太宰治(1909年〜1948年) 
若い世代にも愛され続けている自己破滅型小説家

太宰治は亡くなった後も、次々と若い読者を獲得しています。その理由はやはり破滅型の小説家として、自分の弱さを隠さずに世の中にさらけ出したところにあるのではないでしょうか。その根本にあったのは生きることへの弱さかもしれません。

芥川賞に落選したときには、選考委員だった川端康成に向けて「刺す。大悪党だと思った」と書き綴ってみたり、師匠である井伏鱒二の家では隣の部屋から聞こえてきた陰口においおい泣いてみたり。他にも愛人との心中や麻薬中毒など、繊細故にしでかしたエピソードには枚挙に暇がありません。

しかし、意外なことかもしれませんが、太宰は毎日朝早く起きて、午前中はしっかりと小説を執筆していたそうです。芥川賞の一件にしても、一日も早く小説家としての地位を手に入れたいという想いからの暴走だったのかもしれません。また、愛人との心中未遂をくり返したのも、どうやら心中を起こしてから小説のネタにしていたのではなく、小説のネタに困って心中を目論んだという節も見受けられるそうです。何度も心中未遂をくり返しながら結局失敗していたのもその証拠かもしれませんね。

私小説家として生き、それを作品にする。そして、作品のネタがなくなると、ファンの日記をそのまま小説の下敷きにしたり、愛人と心中を図ったりする。しかも、その執筆は毎日朝早く起きて午前中に一生懸命に書く。

そう考えると、太宰の生き様こそが太宰の作品だったのかもしれません。 太宰が遺書に「井伏さんは悪人です」と書き残したことが話題になりましたが、その理由として、太宰が『女生徒』で使った、ファンの日記を作品にするというやり方と全く同じ手法を使って、師匠である井伏が『黒い雨』を書いたことへの避難だと推測する人もいます。これも、常識では計り知れないほどに、自分の小説を愛した結果の恨み節なのかもしれません。

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