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非常識人列伝「日本映画の父は才能を育てる天才だった」牧野省三

世界を動かした非常識人列伝 第45話

牧野省三(1878年〜1929年) 
日本映画の基礎を築いた映画監督

牧野省三は日本で初めての職業的な映画監督として知られています。もともと京都にあった芝居小屋の経営者でしたが、そこで海外の活動写真をかけたのが縁で、自身も映画制作に手を染めていきます。歌舞伎役者の尾上松之助とタッグを組んだ時代劇は人気を博し、生涯で300本以上の映画を世の中に送り出したのです。

牧野省三の活躍で、映画会社日活はその礎を築き、後に独立してマキノプロを設立。日本映画を大きく飛躍させた監督して語り継がれています。初期の頃は忍術映画を数多く撮りましたが、そこでは数々の特殊撮影に挑戦しました。中止め、二重露光などのトリック撮影を多用して、人が消えたり、空を飛んだりという演出を披露。当時の観客を夢中にさせたのです。

しかし、忍術映画がヒットしたことで、子どもたちが忍者の真似をしてケガをするという事故が相次いだそうです。ある日、牧野は子どもたちに「うそつき!」と言われ取り囲まれました。子どもたちは、忍者映画のように印を結んで(つまり忍法のポーズを作って)も姿を消すことができない!と怒っていたのです。このことをきっかけにして、牧野省三は教育映画の制作に力を注ぎ、1921年(大正10年)には牧野教育映画製作所を設立。主に道徳心を育てるような映画を数多く制作しました。

牧野の功績は、興行映画で日本映画の礎を築き、教育映画で子どもたちのための作品を量産しただけではありません。次々に若い才能を発掘し育てたのです。監督では衣笠貞之助や内田吐夢、俳優では尾上松之助や阪東妻三郎、月形龍之介、片岡知恵蔵など、役者から俳優まで枚挙に暇がありません。さらに、長男であるマキノ雅弘も日本を代表する映画監督になり、次男・光男はプロデューサーに。そして、孫には長門裕之と津川雅彦がいます。安室奈美恵やDA PUMPらを育てた沖縄アクターズスクールを設立したマキノ正幸も牧野の孫に当たるのです。

日本映画を確立した映画の父は、人を育てる天才でもあったのです。