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非常識人列伝「10年間で膨大な絵を遺した孤高の天才画家」フィンセント・ファン・ゴッホ

世界を動かした非常識人列伝 第46話

フィンセント・ファン・ゴッホ(1853年〜1890年) 
ポスト印象派に位置づけられるオランダの画家

ゴッホはオランダ南部のズンデルトで生まれました。ゴッホは生前貧しい暮らしの中で画を描き続け、弟テオの援助によって画家としての活動を継続しました。約10年の活動期間にゴッホが書き残した作品は、油絵が約860点、水彩画が約1150点、素描が約1030点、版画は約10点に及び、手紙に書き込んだスケッチ(約130点)を合わせると、2,100枚以上の作品をのこしました。

しかし、生前に売れた画は『赤い葡萄畑』の1枚だけだったと言われています。貧しく苦しい暮らしを強いられながら、大胆な色使いの作品を次々と発表したゴッホは性格的にも浮き沈みの激しい人だったようです。

両親や家政婦からも「扱いにくい子ども」と認識されていたゴッホ。周囲と折り合いを付けるのがどうやら苦手だったようで、パリに移り住んでからも都会に馴染めずに苦労したようです。1888年、ストレスから酒に溺れたゴッホ。療養で訪れた南仏アルルが気に入り、ここで芸術家の仲間との共同生活を夢見るようになります。

ゴッホはパリの友人たちに手紙を送りました。一緒にアルルで創作活動をしようという誘いの手紙でした。その誘いに乗ったのは同じく貧しい生活を強いられていた画家ゴーギャンだけでした。しかも、たがいに個性の強い画家同士。二人の共同生活は当初からぶつかり合うことが多かったようです。

1888年12月23日、その夜も二人は口論となり、ゴッホは興奮のあまり自分の耳をカミソリで切り取ってしまったのです。しかも、それを馴染みの娼婦に送りつけるという奇行に出たことでゴーギャンはゴッホの元を離れてしまいます。ゴッホも精神病院へ入院し、二人の仲は終焉を迎えました。ゴッホの過剰なまでのゴーギャンへの思いに、ゴーギャンが絶えきれなかったのかもしれません。

1890年に自殺を遂げるまで、ゴッホの絵に対する情熱が消えることはなく、その情熱ゆえに彼の心が平穏を得ることもありませんでした。貧しくも絵を描くことを諦めず、友人との争い、耳切事件を起こし、最後は自殺を選んでしまう、という激しく短い一生を送った孤高の天才・ゴッホ。彼の絵が世間に知られ、高い値段で絵が取引されるようになったのは彼が亡くなって間もなくのことでした。