#63 「二つの世界の間で見つけた心象スケッチ」宮沢賢治

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第63話

宮沢賢治(1896年〜1933年)
日本の詩人・童話作家

宮沢賢治は現代の日本では広く知られた有名な作家ですが、生前、彼が原稿料をもらって書いた原稿はたった1本だったと言われています。たった37年の人生でしたが、賢治は自分の信念を曲げることなく懸命に生き続けました。成績優秀で文才もある。しかし、彼はなかなか周囲に理解されずに苦しみ続けた人生だったのかもしれません。

もともと賢治の実家は裕福でした。しかし、家業を継がせたい父親とは対立。貧しい人たちが古着をお金に換えるためにやってくるという古着商という家業を嫌っていました。商売としてはできるだけ安く買い上げて高く売らなければなりませんが、賢治の目にはそれが貧しい人たちからの搾取に見えたようです。

賢治が信仰心厚く、そして、農業に力を入れたのは、そんな背景があったからかもしれません。自分自身の入院や友人の死などを経験し、賢治は25歳の時、童話を書き始めます。現在の県立花巻農学校の教師をしながら『風の又三郎』『銀河鉄道の夜』『よだかの星』などの名作を書き残しました。

自分が生きている世界と死んでしまった友人や妹がいる世界、そして、心の内にある理想郷「イーハトーヴ」と現実の世界。賢治は言葉をつむぐことで、そんな二つの世界を行き来していたように思えます。だからこそ彼は約100話の童話を書き、約1000篇の詩を書き続けることが出来たのかもしれません。賢治の生前に出版されたのは詩集『春と修羅』、童話集『注文の多い料理店』だけでした。

しかし、賢治はいつも頑固さと優しさ、繊細さと大胆さといった二面性を兼ね備え、物事を多面的に見ていたからこそ、いまも人々に愛される「心象スケッチ」という独特な文体を手に入れたのでしょう。今日もまた、賢治の詩や童話を読んで救われる人や、夢見る人がいるのです。

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