#64 「宇宙旅行を描いて見せた映像の魔術師」ジョルジュ・メリエス

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第64話

ジョルジュ・メリエス(1861年〜1938年)
世界初の職業映画監督

ジョルジュ・メリエスは1861年、パリに生まれました。父親は高級靴の職人で、メリエスが生まれた頃にはかなり裕福な家庭だったようです。10歳のころにはお手製の人形劇を作りはじめ、その後、精密なマリオネットを作るまでになりました。そんなメリエスが、当時誕生したばかりの映画製作の道に進んだのは、当然と言えば当然かもしれません。フィルムのなかで、登場人物を自由自在に動かし、それを多くの人に見てもらえるのですから。

1890年前後、トーマス・エジソンが映画のカメラと映写機を発明。それを目の当たりにしたリュミエール兄弟は、さらに多くの人が一度に見れるようにスクリーンによる映写を考案しました。同時に、自分たちで『工場の出口』という世界で初めての実写映画を完成させたのです。しかしこの作品はいわゆるドキュメンタリー映画。メリエスは、そこに物語と特撮を持ち込みました。

メリエスの作品で最も有名なのは1902年に作られた14分の『月世界旅行』。人々が宇宙を旅して、月世界にたどり着くというファンタジーSF映画でした。この時、当時としては画期的なトリック撮影が数多く使われ、メリエスはSFXの創始者と呼ばれるようになります。

その後、彼は精力的に映画製作に取り組み、世界で初めての職業映画監督として成功を収めました。しかし、映画製作にのめり込み過ぎたせいでしょうか。大作映画を次々と発表するも、興行的な失敗や金銭的なトラブルや火災などの不幸が続き、やがてメリエスは公の場に姿を表さなくなりました。それでも、彼の功績へのリスペクトは止まず、アンリ・ラングロアやルネ・クレールなどの映画関係者が晩年のメリエスに寄り添いました。

メリエスは1938年に死去しました。病床に若い仲間たちが見舞いに訪れると、シャンパンボトルのコルクがはじけて、泡が溢れている絵を見せたそうです。そして、こう言いました。「友よ、笑ってくれ。私と一緒に笑ってくれ。私はあなた方の夢を見たのだから」と。生死の境で、メリエスは彼自身の新しい映画を見ていたのかもしれませんね。

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