#71 「ヌーヴェルヴァーグを代表する、愛のシネアスト」フランソワ・トリュフォー

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第71話

フランソワ・トリュフォー(1932年〜1984年)
フランスの映画監督

1959年、フランソワ・トリュフォーの処女長編作『大人は判ってくれない』がフランスで公開されました。作品は観客が長蛇の列を作る大ヒットとなりました。作品は、トリュフォー自身の体験を下敷きにしたもので、主演はジャン・ピエール・レオーでした。カンヌ映画祭では監督賞を受賞。トリュフォーは一躍、若き映画のヒーローとなりました。そして、それは同時にヌーヴェルヴァーグの到来を意味するものでもあったのです。

下積みなどなくても映画は撮れる。セットなどなくてもロケ撮影でいい。同時録音、即効演出と、いまでは当たり前になった数々の新手法を取り入れたヌーヴェルヴァーグ運動は、トリュフォーのデビューで開花し、その後のゴダールによって大輪の花になったと言えます。

振り返ると、トリュフォーとゴダールの登場によって世界の映画界は多くの若者を取り込み、大きく可能性を広げたのでした。しかし、カンヌ映画祭のコンテストの必要性を巡って大論争が起こり、トリュフォーはゴダールたちヌーヴェルヴァーグの盟友たちと決別することになったのです。その後、トリュフォーはヌーヴェルヴァーグ的な映画作りから物語を大切にする作家の道へと進み、愛のシネアストと呼ばれるようになりました。

52歳で亡くなるまでに、トリュフォーは25本の映画を完成させました。その死に際して、共にヌーヴェルヴァーグの騎手だったゴダールは、葬儀に参列せず、追悼の言葉も発しませんでした。しかし、死後数年して出版されたトリュフォーの書簡集に手紙を提供。その序文に「フランソワは死んだかもしれない。わたしは生きているかもしれない。しかし、そこにどんな違いがあるというのだろう?」と書き記したのでした。

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