#74「誰もが認めたが故に、知られにくいエロスの作家」池田満寿夫

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第74話

池田満寿夫(1934年〜1997年)
日本の画家、版画家、映画監督

池田満寿夫という芸術家ほど、知名度はあるのに正当に評価されていない作家はいないかもしれません。19歳で画家として自由美術家協会展に入選、その後、版画で東京国際版画ビエンナーレ展に入選。1965年にはニューヨーク近代美術館で日本人初の個展を開きました。また、32歳の時にはヴェネツィア・ビエンナーレ展版画部門で国際大賞を受賞。版画家としての地位を確固たるものにしました。

しかし、池田の活躍は版画の世界に留まりませんでした。1977年、池田は『エーゲ海に捧ぐ』で芥川賞を受賞。池田はこの作品を絵画、歌、映画へと展開しました。『エーゲ海に捧ぐ』は池田の代表作となり、彼自身もテレビ番組に出演するなど知名度は大幅にアップしたのです。

ただ、この活躍が池田満寿夫という芸術家の本来の評価を見えにくくしたとも言えます。文化人としての池田をテレビで見た人たちは、ある意味、エロスに彩られた『エーゲ海に捧ぐ』という映画作品のみで判断し、芸術家としての本質をみることはありませんでした。

文化人としての活躍が一段落してから、池田は陶芸に没頭します。特に死の3年前に制作した般若心経シリーズは池田の作品の中でも最高傑作と呼ばれています。かつてエロスの作家と言われた池田のイメージを大きく変えるもので、壊れそうな危うい美学が潜み、それを本人は「破壊の美学である」と表現しています。もしかしたらそれは、池田が自分自身に対する様々な評価をあえて壊していくという作業だったのかもしれません。

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