#77「地獄を知っている優しいギャグ漫画の神様」赤塚不二夫

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第77話

赤塚不二夫(1935年〜2008年)
戦後のギャグ漫画史を築いた漫画家

『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』『天才バカボン』などの大ヒット作で知られる戦後逆漫画の神様、赤塚不二夫。1956年にデビューして以来、2002年に亡くなるまで、第一線の漫画家として走り続けました。そして、その死後もなお旧作のリメイク作品は作られ続け、アニメ化、実写映画化は引きも切りません。特に『天才バカボン』は5回にわたってアニメ化され、劇場用アニメやテレビドラマ化もされています。

赤塚は作品には厳しく取り組み、納得できるアイデが出来るまで担当編集者も交えた企画会議が終わらず、辛い思いをした編集者もいたようです。しかし、多くの人々は、赤塚が周囲の人たちに対して、どこまでも優しい人であったと証言しています。盟友であったタレントのタモリは、上京当時、赤塚の豪邸に住まわせてもらい、赤塚自身はホテル住まいだったと述懐しています。

そんな赤塚の優しさと、アナーキーでシュールな過激なギャグ漫画は、どこから生まれたのでしょう。それはおそらく生まれ育った満州での経験からきたものではないかと思われます。赤塚の父は満州国の警察官でした。そんな父と母の下で厳格に育てられた赤塚ですが、その後、日中戦争が勃発。密告による近所の日本人家族への虐殺事件などを目の当たりにしたことが彼の創作活動に大きく影響していたと自ら語っています。

昼間、天使のように優しくお菓子をくれたソ連兵が、夜、自分の母親を襲おうとする。「人は天使にも悪魔にもなり得るんだ」と子どもながらに悟った赤塚。その後、命からがら家族と日本に引き揚げますが、直後に幼い妹を亡くしてしまいます。赤塚は「チビ太もニャロメも、あの当時の思い出から生まれている。結局、赤貧と、ガキの泥棒グループが一人のギャグ漫画家を育てたんだよ」と語っています。

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