#81「伝説の剣豪は芸術家でもあった」宮本武蔵

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第81話

宮本武蔵(1584年〜1645年)
江戸時代初期の剣術家

宮本武蔵の名前を聞いたことがない、という人はいないはず。それほど武蔵は小説になり、映画になり、マンガになり、舞台になり、広く多くの人に親しまれています。しかし、その多くは小説家・吉川英治が新聞連載した小説『宮本武蔵』を原作にしていたり、強く影響を受けているものが多いのです。この小説は娯楽小説として高い評価を得ていますが、創作・脚色された部分も多いので、そのまま鵜呑みにするわけにはいきません。

しかし、宮本武蔵が剣豪であったということについては、多くの研究家の声を総合しても間違いはなかったのでしょう。ただ、武蔵は剣豪であったと同時に兵法家でもありました。つまり、闘うだけではなく、戦術を説き、勝つための方法を伝授していくという存在でもあったわけです。

武蔵は卑怯者だった、という記述がなされている書物も多くあります。その一例としてあげられるのが、かの有名な巌流島での戦い。佐々木小次郎を長時間待たせ、いらつかせ、冷静さを失わせた上で、切り捨てる。しかし、だからこそ吉岡一門との戦いでは70人を相手に勝ったといわれるほどの沈着冷静さを保てたのかもしれません。武蔵は決して燃えるような情熱だけで時代を駆け抜けた人物ではなさそうです。

その証拠になるのかはわかりませんが、武蔵には芸術家としての側面があります。『五輪書』と名付けられた兵法の書を著し、達磨の絵図などを数多く遺しています。その中には重要文化財に指定されているものもあり、芸術家としても高い評価を得ています。さらに、養子である伊織をきちんと家老にまで育て上げている。つまり、武蔵はただただ剣の強いアウトローなどではなく、人として、芸術家として、親として、しっかりと生きることのできた偉人だったのかもしれません。

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