#83「失ったからこそ大切にした名優の出会い」高倉健

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第83話

高倉健(1931年〜2014年)
日本映画の隆盛を支えた映画俳優

高倉健はもともと俳優を目指していたわけではありませんでした。友人のつてで芸能プロダクションのマネージャーになろうと喫茶店で面接を受けているときに、映画プロデューサーにスカウトされ役者への道を踏み出したのです。だからでしょう。無名の新人ながら主役デビューを果たしたときには、化粧を施された自分の顔をみて情けなくて涙が止まらなかったそうです。

しかし、本人の思惑とは関係なく、高倉健はスター街道をまっしぐらに歩いていきました。特に任侠映画では『日本侠客伝シリーズ』『網走番外地シリーズ』『昭和残侠伝シリーズ』などヒット作を連発。押しも押されもしない大スターとなりました。

俳優としての高倉健は順風満帆でしたが、プライベートでは必ずしも幸せなことばかりではありませんでした。特に結婚生活においては、歌手・江利チエミと12年間を過ごしましたが、その後離婚しています。しかし、離婚の原因は2人の不仲ではなく、チエミの異父姉を名乗る人物の存在でした。彼女による3億円以上にも登る金銭トラブルや誹謗中傷。これらが原因で2人は苦渋の決断を迫られました。しかも、それから約10年後、江利チエミは不慮の事故で亡くなってしまったのでした。そんな辛い経験をしたからでしょうか。高倉健は「人生で大切なものはたったひとつ。心です」と言い切っていたそうです。

俳優としても共演者のためには、骨身を削る努力をしたと言います。映画『八甲田山』でまだ若手であった北大路欣也が、高倉健が演じた上官の死の場面で、棺桶のふたをあけて泣きながらすがりつく場面がありました。この時、北大路欣也は驚愕したそうです。カメラが回り、棺桶のふたをあけると、そこにちゃんと衣装を着けた高倉健が遺体を演じていたのです。何時間も吹きすさぶ雪の中での撮影。気温の低さにみんなが震えていたのに、高倉健は文句も言わず、北大路の演技を引き出す為に、そこに横たわっていたのです。まったくカメラには写らないのに。

俳優という仕事に全身全霊をかけ、そこに参加するすべての人との一期一会を大切にした高倉健。大切な人を失った経験があるからこそ、彼はすべての出会いを大切にする人生を選んだのかもしれません。

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