#88「人たらしで天下をとった戦国武将」豊臣秀吉

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第88話

豊臣秀吉(1537年〜1598年)
日本の戦国武将

豊臣秀吉は戦国時代から安土桃山時代に活躍した戦国武将。天下人であり織田信長、徳川家康とともに三英傑と称されています。秀吉については小説やドラマ、映画などに何度も繰り返し登場しているので、みなさんのなかにもある程度のイメージがあるのではないでしょうか。もっとも知られたエピソードは、まだ秀吉が木下藤吉郎と呼ばれていた頃、信長の草履を懐で温めて目を付けてもらったというものでしょう。このエピソードに象徴されるように、秀吉は人の心に入り込むことが得意だったようです。

信長の後継として、天下を統一し、日本を治め、大陸への出兵など様々な計画を実行に移した秀吉ですが、ただ頭が切れるだけでは天下を納めることはできません。そこで特筆すべきはやはり秀吉の人たらしぶりです。

戦国の武将たちは様々なやり方で人を支配してきました。信長は敵味方に限らず恐怖で人を支配しようとしました。しかし、このやり方は敵を増やし、裏切られるリスクを高める可能性があります。そこへ行くと秀吉は人たらしで人心を掌握していく。つまり、味方を増やしながら勢力を拡大していくのです。だからこそ、秀吉は信長以上に偉業をなし得たのかもしれません。

1570年の金ケ崎の戦いでは絶体絶命に陥った信長。この時、秀吉は自らに敵の攻撃が向かうように仕向けて助けました。このことで信長からの絶大なる信頼を勝ち取ったのです。また、1584年小牧・長久手の戦いで撃退され逃げ帰った九鬼嘉隆に、秀吉は「生きて帰ったことこそ手柄だ」と讃えたことで嘉隆は終生、秀吉に忠誠を尽くしました。他にも派手な茶会を開いたり、金に糸目を付けない接待攻勢を仕掛けたり。秀吉の人心掌握術はいまの世の中にも通じるものなのかもしれません。

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