#89「ソ連を崩壊させノーベル平和賞を受賞した初代大統領」ミハイル・ゴルバチョフ

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第89話

ミハイル・ゴルバチョフ(1931年〜)
ロシアの政治家

ゴルバチョフと言えば、旧ソ連の最初で最後の大統領として知られています。アメリカと並ぶ超大国であったソ連は、ゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任した1985年当時、経済的に停滞していました。そんな状況を打破するために彼がとった政策がペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)。一党独裁で強権的な政策を続けてきたソ連が大きく変わるきっかけをゴルバチョフは与えたのです。

ゴルバチョフが最高指導者になった時期はソ連にとっても大変な出来事が重なっていました。まず、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故。この事故は指導部に過小報告されたことで、グラスノスチ(情報公開)を推進させることになりました。その結果、アメリカを初めとする諸外国からの評価が高まり、ソ連国内の若者たちからも民主化への大きな期待がふくらんだのです。

ソ連国民の不満の要因は、偉大なる古き良きソビエト連邦の崩壊でした。そのため、ゴルバチョフが東欧の民主化革命を支持し、冷戦を終結させ、1990年にソ連の初代大統領に就任し、ノーベル平和賞も受賞したころには、ゴルバチョフに対する不満はピークに達していました。

東西冷戦の象徴でもあったベルリンの壁崩壊をゴルバチョフが黙認したこともあり、国内での彼への不満は決壊し、1991年に8月クーデターが起こりました。改革派として政権を担うゴルバチョフを保守派が別荘に軟禁したのです。このクーデターは国民や国際社会からの反発で数日で失敗に終わりました。しかし、首謀者たちがすべてゴルバチョフの側近であったことで、被害者であったゴルバチョフ自身、そして、ソ連共産党全体の信頼が失墜し、ソビエト連邦の崩壊が加速したのです。

結果的に世界を大きく変えたゴルバチョフ。しかし、ロシアでは「アメリカに魂を売った男」と言われることも多く、評価は二分します。ただ、彼が改革と情報公開を訴えた時、それを多くの国民が支持したことも事実。ゴルバチョフはそれを愚直に押し進めた指導者であったということは間違いないでしょう。

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