#102「破天荒なケンカ坊主」今東光

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第102話

今東光(1898年〜1977年)
僧侶、小説家、参議院議員

今東光(こん・とうこう)は横浜市の武家の家系に生まれました。まだ幼い10歳の頃から文学に興味を持ち、永井荷風、谷崎潤一郎を耽読。北原白秋や室生犀星に手紙を送り文通を願い出るほどの早熟ぶりでした。また、中学生の頃には牧師の娘と交際したことで退学処分にされるなど、こちらの方でも早熟だったようです。

しかし、小説の才能は確かなものだったようで早くから評価されました。数多くの著作がありますが、『お吟さま』『悪名』などたくさんの作品が映画化もされ人気を博しました。しかし、今東光がもっとも注目されのはその毒舌とケンカ好きな性格。若い頃にはわざと軟弱な文学青年の身なりでカフェに入り、チンピラに言いがかりを付けられるのを待っていたと言うからなかなかのものですね。

ただ、彼の毒舌やケンカ好きな性格の根底には、いわゆる正義感や侠気があったようです。人を見た目で判断することへの抵抗や、資本を持つ者が持たない者を支配しようとすることへの反抗心が今東光の人格形成の基礎を成していたのかもしれません。特定の出版社に縛られないで小説を執筆する「野良犬会」を結成。柴田錬三郎、梶山李之、井上ひさしなど錚々たるメンバーの会長を務めたことも、そんな気持ちの表れだったのでしょう。

すでに作家として注目を集めていた東光が出家したのは1927年。芥川龍之介の自殺に衝撃を受け、出家を志したといいます。実際に出家したのは1930年。もちろん、型に収まらない人ですから、出家したからと言って大人しくなるわけではありません。毒舌満載の人生相談をしたり、小説の幅を広げたりしながら、ますます旺盛な作家活動を展開しました。

しかし、生前の今東光がテレビなどで見せたやんちゃな姿は、世間に対する虚勢だったのではないか、という人もいます。実はプライベートでの彼はとても物静かで謙虚な人だったと言われているのです。晩年、東光はがんを患いましたが、末期になっても主治医に対して「大丈夫だ」と笑って見せたといいます。主治医は「こんなに意志の強い患者を見たのは初めてだ」と驚いたそうです。

豪快にケンカし、豪快に笑い、そして、様々な分野で活躍した今東光。出家した背景には、ほとばしる熱情に翻弄される自分自身を押さえ込み、静かに穏やかに生きていきたいという気持ちがあったのかもしれませんね。

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