#104「爆笑王となって苦悩した天才落語家」桂枝雀

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第104話

桂枝雀(1939年〜1999年)
上方落語家

桂枝雀は上方落語の爆笑王と言われました。幼い頃から笑いの才能を発揮して、兄弟で素人参加のラジオやテレビに出演。「伊丹の前田兄弟」として名前が通っていたそうです。1959年、後に人間国宝になる桂米朝に弟子入りを許されたのですが直後に神戸大学文学部に合格。米朝にも相談して1年通いましたが「もうええわ(もう充分)」と中退して、正式に内弟子になりました。

師匠からもらった最初にもらった名前は桂小米。彼は小米時代から大変な人気でした。しかし、後に爆笑王になるような芸風ではなく、「分かる人にだけ分かればいい」という玄人受けのする繊細な芸風でした。そんな小米が、枝雀の名前を襲名する頃に豹変。すべての人を笑わせるために、舞台の上で跳びはねることもいとわない派手はものになったのです。

その劇的な芸風の変わりようにファンも戸惑ったそうですが、その変化には理由がありました。彼は落語に打ち込みすぎてうつ病になっていたのです。「舞台に上がるのが怖い」「なんでこんな辛い思いをして稽古をしなければいけないのか」と引きこもる毎日。しかし、周囲の献身的な助けと良い医者に出会うことで復活します。その時、彼は「もう、あんな怖い病気にはなりたくない。これからは笑顔の仮面を付けて生きていく。そうすればその笑顔がやがてほんまもんの笑顔になるはずや」と妻に語り、爆笑型の落語家・桂枝雀が誕生したのです。

舞台で跳んだり跳ねたり、こっけいな表情で笑わせる枝雀の落語は、その根底に確かな話芸があることも認められ、東京でも大人気となりました。歌舞伎座での公演では落語家として初めてカーテンコールを受けるほどに大成功。その後も日本中を駆け回りながら独演会を続け、アメリカでは英語落語を公演を成功させ、映画やドラマの主役を努めたりもしました。

しかし、1999年、還暦(60歳)を目前にうつ病が再発。若い頃のものよりも症状は重く、結局、枝雀は59歳で自死を選び亡くなってしまいました。多くの人々に笑いを運び、笑いによって人気者となった桂枝雀。しかし、彼自身は笑いによって身動きがとれないほどに追い詰められていたのかもしれません。死後、遺書は見つからず、ただ還暦記念に行われるはずだった20日間公演の演目が書かれた紙だけが見つかりました。

タイトルとURLをコピーしました