#105「当然のことをしただけ、と男は言った」杉原千畝

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第105話

杉原千畝(1900年〜1986年)
東洋のシンドラーと言われた外交官

1985年、イスラエル政府は杉原千畝(ちうね)に対して「ヤド・バシェム賞」を授与しました。これはユダヤ人を救った人に贈られるもので、これまで日本人で受賞したのは千畝だけだといいます。千畝がこの賞を受賞したのは、1940年に外交官としてリトアニア共和国のカウナスに赴任していたときに起きた「命のビザ」を発給した行為に対してです。

当時、ナチスドイツの迫害は日に日に激しくなり、千畝のいた領事館には100人ほどのユダヤ人が日本を通過することができるビザを求めて来ていたそうです。しかし、彼等は正式な規則だと発給が認められない人々でした。しかし、千畝は自身の独自の判断で、彼等にビザを発給し続けました。

彼が発給したビザはリトアニア人と旧ポーランド人に対して2132枚。このうちユダヤ人については1500枚が発給されたと推測されています。そして、ビザは1家族につき1枚あればよかったということから、千畝の発給した「命のビザ」で救われたユダヤ人は6000人に上ると言われているのです。

日本の外務省の許可を得ずに、道徳心で行動した杉原千畝は1947年に帰国し、外務省を事実上、更迭されました。そして、その名誉が回復するまでには44年の時を待たなければなりませんでした。いまではリトアニアには『スギハラストリート』と名付けられた通りがあり、千畝の肖像が使われた切手も発行されています。こんな状況を天国から千畝はどのような気持ちで見ているのでしょうか。生前、彼はこう言っていたそうです。「大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです」

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