#110「独自の俳句で後世に語り継がれる俳人」小林一茶

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第110話

小林一茶(1763年〜1828年)
江戸時代を代表する俳人

「やせ蛙まけるな一茶これにあり」という親しみやすく心温まる句で知られる小林一茶。しかし、彼の生い立ちは苦労の連続でした。長野県の農家の長男として生まれましたが、幼くして母を亡くし、継母や異母兄弟に馴染めず、子どもの頃から江戸に奉公に出たそうです。

俳句を始めたのは25歳。師匠について始めた俳句で才を発揮してやがて一茶は近畿や九州などを旅しながら俳句を作るという生活に入っていくのです。想像だけで俳句を詠むのではなく、彼にとって俳句は自分自身の生きた証だったのかもしれません。例えば、自身の父親が亡くなる直前までを書き綴った『父の終焉日記』はいわゆる私小説の先駆けのような存在。本人にそのつもりがなくても、一茶は自分自身の人生こそが作品だったと言えるでしょう。

一茶は亡くなるまでに約2万2千句の俳句を遺しました。「雪とけて村いっぱいの子どもかな」「名月やとってくれろと泣く子かな」「ともかくもあなたまかせの年の暮れ」「めでたさも中位なりおらが春」などなど、日々の暮らしを親しみやすく詠んだ句ばかりです。しかし、当時の俳句の世界はそれぞれの俳人がひとつの形を作ることにこそ醍醐味があると考えられていた時代。日々の暮らしを自由に詠む一茶の句は、弟子たちや一部の人たちには支持されても大きな影響力は持ち得なかったようです。

しかし、一茶の創作意欲は晩年まで衰えることはありませんでした。60代に入って何度か病に倒れても、結婚生活に失敗しても、俳句だけは作り続けました。不自由な身体になってもカゴに乗って俳句の師匠として門人のもとを回り続けたのです。あの、穏やかで親しみやすい俳句の奥底には一茶の壮絶なまでの創作への想いがあるのです。

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