#112「破天荒な落語家は笑いを生きた」初代・桂春団治

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第112話

初代・桂春団治(1878年〜1934年)
上方落語の落語家

映画に芝居にと今でも語り継がれる初代・桂春団治。彼は明治から昭和にかけて関西で活躍した落語家でした。東京の江戸落語に対して、大阪の落語は上方落語と呼ばれますが、そんな上方落語のなかでも春団治の落語は爆笑型の破天荒なものでした。

春団治は小学校を卒業するとすぐに丁稚奉公に出されますが、どこへ行っても長続きしません。そこで初代・桂文我に弟子入りし1895年に落語家になりました。春団治と名乗るようになったのは1903年。その辺りから、とにかく舞台に上がれば爆笑をとるまで帰って来ないという力技で人気を博すようになりました。

春団治といえば破天荒な芸風が売り物でした。同じ「うなぎ」というネタも普通ならうなぎを手に持って町内を練り歩く、というお話が、なぜか電車に乗って遠くへ行ってしまうなど、本来古典落語には登場しない電車や家電製品、自転車や飛行機が次々と飛び出すのです。客は大喜びで大爆笑。春団治が登場すると寄席が揺れると言われるほどでした。

破天荒だったのは舞台の上だけではありません。例えば、結婚。師匠の紹介で、ある女性を嫁に迎えた春団治。実はその時にはある女性と同棲中だったのです。しかし、「師匠の顔を潰すわけにはいかない」と言い、もともと同棲中だった女性を「姉だ」と偽って、しばらくの間そのまま3人で暮らしたそうです。

他にも、こんなエピソードがあります。当時、普及し始めたラジオ放送に新しもの好きの春団治は出演を希望しました。しかし、所属の吉本興業は「ラジオに出ると寄席に客が来ない」とこれを拒否。すると春団治は内緒でラジオ出演を続けたのです。業を煮やした吉本興業は訴えをおこし、春団治の財産を差し押さえました。すると春団治は執行官から差し押さえの紙を奪い「それならこの口を差し押さえなはれ」と自分の口に貼り付けたそうです。これが写真付きで報道されると、客が寄席に殺到。ようやく吉本興業もラジオの力を思い知り、春団治とも和解したのでした。

こうして春団治のエピソードを見ていくと、もちろん彼の性格もあるのでしょうが、それ以上に客を笑わせたい、人気者でありたい、という芸人としての欲が人一倍強かったのでしょうね。きっと、いまの世の中に初代・桂春団治がいたらとても生きづらくて、芸人なんてすぐに辞めてしまっていたかもしれません。

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