#113「1200人の命をナチスドイツから救った男」オスカー・シンドラー

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第113話

オスカー・シンドラー(1908年〜1974年)
オーストリア出身の実業家

オスカー・シンドラーはオーストリア・ハンガリー帝国領だったメーレン地方に生まれました。父は農業機械の工場経営者で裕福な暮らしをしていたようです。成人したシンドラーは快楽主義の遊び人で、上流社会でうまく立ち回り、女性からもてはやされ、楽しめるものはなんでも楽しむという生活を送っていました。楽天家でもあったシンドラーは、確固たるイデオロギーを持っていたわけではなく、時代の流れのなかに身を置き、常に自分が楽しめる方へと舵を切っていた人物といえるのかもしれません。

そんなシンドラーですから、趨勢を誇ったドイツ労働者党(ナチス党)に志願して入党したのも自然の成り行き。ドイツのポーランド侵攻に合わせて、彼はポーランドのクラクフにやってきました。もちろん、戦争で一儲けしようとしてのことです。

1939年、シンドラーは工場を購入しました。ホーロー容器の工場ですが、ここで闇商売をしながら資産をどんどん拡大したのです。やがてこの工場は軍需工場となり、800人近い労働者が働くようになっていました。そして、そのなかにはユダヤ人が370人含まれていたのです。

戦争が泥沼化する中、冷酷な将校が強制収容所に赴任してくると、ユダヤ人たちは次々と殺戮されていきました。その魔の手はシンドラーの工場で働くユダヤ人たちにも迫り始めたのです。快楽主義で儲けることにしか興味のなかったシンドラーですが、無抵抗なユダヤ人に対する横暴から目をそらすことはできませんでした。そこで、彼はチェコの工場で働く人材のリストとして1200人のユダヤ人のリストを作成。全財産をなげうつ覚悟でリストをナチスに渡し、チェコへの移送を依頼し、紆余曲折あったもののこれを成功させるのです。

1999年、最後の恋人であったアーミ・シュペートの家の屋根裏部屋からシンドラーが作成した書類がつまったカバンが見つかりました。それによると、シンドラーは現在の通貨価値で総額100万ユーロ(日本円で約1億3000万円)を賄賂としてナチスに渡していたのでした。

シンドラーはただの善人ではありませんでした。自分自身の快楽のために実業家として清濁を併せのみ、ナチスにも経済的な援助を惜しみませんでした。しかし、とことん人生を楽しもうとした快楽主義的な性格は人を愛する気持ちと直結していて、同じ人間であるユダヤ人への横暴を許さず、彼の善行への大きな舵取りとなったのかもしれません。

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