#115「音速の貴公子と呼ばれた天才F1レーサー」アイルトン・セナ

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第115話

アイルトン・セナ(1960年〜1994)
ブラジルのレーシング・ドライバー

アイルトン・セナは、1988年、1990年、1991年と3回もワールドチャンピオンになったF1ドライバーです。1980年代から1994年に事故死するまで、セナはアラン・プロスト、ネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセルとともに四強、ビッグ4と呼ばれ、日本では実況中継を担当した古舘伊知郎さんから音速の貴公子と称されていました。

偉大なレーサーはみんな同じですが、セナも勝つための努力を決して怠りませんでした。たとえ、それが多少の無理を伴うことであっても。例えば、1983年のレースでは、スタート直後の数周はラジエターをテープでふさいでパワーを引き出すという作戦を考えだし実行しました。しかし、そのためには、全速力で走っている最中にシートベルトをゆるめ、身を乗り出してラジエターに手を伸ばしてテープをはがす必要があったのです。セナはこれを実行。見事に勝利を勝ち取りました。

これだけ勝利に執着したセナはミスをすることも少ないドライバーだと言われていました。しかし、1988年のモナコGPの決勝でトップを独走していたセナは残り12周でクラッシュしてしまったのです。ケガはなかったのですがその後の結果に耐えられなくなったセナは、その場を立ち去り近くにあった自分のアパートに帰ってしまいました。そして、夜遅くやっとチームメンバーからの電話に出たセナは、まだ泣いていたそうです。

走ることに賭け、走るための努力なら何も惜しまなかったセナ。そんな彼を悲劇が襲ったのは1994年5月1日でした。この時のサンマリノGPは予選から様々なアクシデントがあったそうです。予選では親しかった同胞のバリチェロが事故を起こしてケガをします。その翌日にはラツェンバーガーが事故で死亡。続くアクシデントで不安定となったセナは恋人に電話をして、「走りたくない」と伝えたそうです。しかし、夜には落ち着き「僕は強い」と気丈に振る舞いましたが、翌日、セナのマシンはクラッシュを起こし、彼は搬送された病院で現地時間の午後6時30分、34歳という若さで帰らぬ人となりました。

天才にしかわからない、いつもと違う空気がその日のレースコースには漂っていたのかもしれませんね。

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