#124「遠山の金さんは実在の人気者だった」遠山景元

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第124話

遠山景元(1793年〜1855年)
江戸時代の旗本。ドラマ『遠山の金さん』のモデル

かつて、『水戸黄門』『大岡越前』などと並んで大人気だったテレビの時代劇に『遠山の金さん』があります。江戸時代の奉行である遠山景元は通称・金さんと呼ばれ、遊び人だったという設定です。遊び人の金さんが町中で見かけた悪事を救い、その時に見事な桜吹雪の刺青を見せるのです。その後、お裁きをくだすときに、しらばっくれる悪人に「おうおう、この桜吹雪を覚えちゃいねえのかい」と刺青を見せながら見得を切るのがクライマックス。というお話でした。

さすがに、刺青を入れたお奉行様はいないだろうと思っていたのですが、この遠山の金さん。実在の人物だったのです。実際の金さんも若気の至りで刺青を入れていたようなのですが、もちろん、お裁きの時にそれを見せて見得を切るなんてことはありませんでした。どちらかというと、袖口から刺青が見えないか、いつも気にしていたというお話もあるくらいです。

しかし、この遠山景元は実際に当時の江戸庶民からとても人気のあった人物だといいます。実は、景元が活躍していた当時、贅沢を禁止する『天保の改革』が吹き荒れました。これを強く押し進めようとした鳥居耀蔵と強く対立したのです。鳥居たちは、芝居小屋や寄席を全廃することを要請。しかし、それでは庶民たちの娯楽が消えてしまうと景元たちは抵抗しました。その結果、江戸の人々の間に遠山景元が善人で、鳥居耀蔵は悪玉であるというイメージが定着。景元の死後、講談や歌舞伎で景元を主人公とした物語が完成し、後に、陣出達朗の時代小説で遠山の金さんという庶民派のヒーローが誕生したのです。

一見、非常識の塊のように思える『遠山の金さん』という物語。しかし、この物語が長く人気を保ってきた背景には、庶民の娯楽を守ろうとした景元に対する、江戸時代の人々の感謝と思慕の思いがあったのです。

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