#126「政界を劇場にした男」小泉純一郎

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第126話

小泉純一郎(1942年〜)
日本の政治家・元内閣総理大臣

振り返ると、小泉純一郎という人が内閣総理大臣になった時代が、日本の政界のターニングポイントだったのではないかと言う人がたくさんいます。それほど、小泉純一郎という人はユニークで多くの人の記憶に残る政治家なのかもしれません。母方の祖父・小泉又次郎は第2次若槻内閣で逓信大臣を務めました。また、父の小泉純也も防衛庁長官を務めた政治家でした。

そんな家系を見ていると、正統派の政治家になりそうですが、小泉はそうはなりませんでした。ポストにも執着せず、子分も作らず一匹狼で、言いたいことを言う。そんな小泉は永田町界隈では変人呼ばわりされはじめます。しかし、政策には習熟していたことから歴代の内閣で要職を歴任。2001年には内閣総理大臣に任命されるのです。

内閣総理大臣になってからの小泉はそれまで以上に自由に動きはじめます。派閥の推薦を一切受け付けず、自分自身で閣僚や党人事を決定。少数派閥を起用しながら、最大派閥から誰も閣僚に起用せず、たった1人で派閥政治をなきものにした功績は大きいと言えるでしょう。さらに「構造改革なくして景気回復なし」のスローガンを掲げ、あらゆる特殊法人を民営化していきました。

後に様々な功罪が語られる小泉内閣ですが、当時の支持率は最高で87.1%(読売新聞社調べ)だったと言いますから、熱狂とも言える支持を誇っていたことは間違いありません。この人気の背景には、政治家ならあって当然とも言える派閥への配慮や官僚への根回しなどを優先せず、自分自身の思う正義を貫くという「今どき」な思考が大きく働いているのかもしれません。

しかし、小泉劇場とも言われた小泉内閣は自らの基盤であった自民党そのもののアイデンティティを破壊し、国民からも政党のカラーを見えにくくしたという一面があります。つまり、自民党の中にもこんな考え方の人がいたのか、と気づかせてくれる反面、ではどの党に入れればいいのかわからなくなる、というねじれ現象が生まれたのです。

そういう意味では、小泉内閣の時代は、政治家と国民が総出で「本音を語り合う」時代の到来だったのかもしれません。そして、その結果生まれた今の時代が、真に正しい時代なのか、もしかしたら違う方向に舵を取らなければならないのか、みんなが真剣に考える時期がきているのかもしれませんね。

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