#127「危険に呼び寄せられた戦場カメラマン」ロバート・キャパ

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第127話

ロバート・キャパ(1913年〜1954年)
ハンガリー生まれの写真家

ロバート・キャパは、戦場カメラマンとして高い評価を得ています。スペイン内戦、日中戦争、第二次世界大戦、第一次中東戦争、第一次インドシナ戦争と、5つの戦争を取材しました。ただし、最近のキャパの研究によって、これらの作品はキャパ1人の作品ではなく、公私にわたるパートナーだったゲルダ・タローとの共同作業であるということがわかっています。キャパの本名はフリードマン・エンドレ。ロバート・キャパは作家でいうところのペンネームでした。そして、ゲルダとの共同作業はロバート・キャパというブランドを一緒に育てたというところでしょうか。

キャパの写真が始めて注目されたのはフランスの写真週刊誌『ヴュ』に掲載された『死の瞬間の人民戦線兵士』という写真です。そして、この写真がアメリカのグラフ誌『LIFE』しに転載され、そこに撮影者の名前としてロバート・キャパの名があったのです。この写真は多くの人の記憶に残り、『崩れ落ちる兵士』と呼ばれるようになります。

実はこれ、すべてがパートナーであったゲルダの企みだったのです。写真が売れなかったキャパ以前のフリードマン。彼と知り合ったゲルダが写真を売り込むために、すでに偉大な業績を持つ「ロバート・キャパ」なるアメリカ人カメラマンを創り出し、フリードマンにキャパを演じさせたのです。「崩れ落ちる兵士」の写真も、兵士の休憩中に撮られたもので誰も死んでおらず、最前線の写真でもありませんでした。しかも、写真自体もゲルダが撮影したもので、キャパが撮影したものではなかったのです。しかし、その企みが功を奏し、彼らはキャパとしての仕事を獲得していきます。

こんな非常識な企みからスタートしたキャパのキャリア。ここからすでに戦場カメラマンとして生きることが決定付けられていたと言えるでしょう。写真が『LIFE』に掲載されてから数日後、ゲルダはスペイン内戦の取材時に事故に巻き込まれて亡くなります。つまり、キャパは1人で戦場写真家として生きていかざるを得なくなるのです。

しかし、キャパはキャパとしての人生を全うします。戦場で、「お前たちカメラマンは俺達の死を待っているハイエナと一緒だ」と言われ、ショックを受けたキャパ。彼は真摯に彼らを撮影しようと決意を新たにしたと言います。食べるためについた小さな嘘が大きな道となり、同時に自分自身の生き方を決めてしまったカメラマン、ロバート・キャパ。彼の口癖は「もし、君の写真が良くないとすれば、それは君が充分に近寄っていないからだよ」でした。この言葉には被写体との物理的な距離だけではなく、心の距離も含まれています。フリードマンとキャパは最後には1人の人間になったのでしょうか。

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