#168「世界に平和を伝えた少女」アンネ・フランク

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第168話

アンネ・フランク(1929年〜1945年)
『アンネの日記』で知られるユダヤ系ドイツ人

アンネ・フランクほど、世界的に名前を知られた少女はいないでしょう。教科書にもその日記が載り、世界中に平和を発信する書物として語り継がれています。しかし、このコラムで取り上げている人たちのように、アンネは常人ではない何かを持っていたわけではありません。むしろ、世の中が狂気に満たされ、すべての歯車が破滅へと向かっている中、日記を書くという行為で普通であろうと努力した少女と言えるでしょう。

アンネはユダヤ系ドイツ人の両親の元に生まれました。父は銀行家で、母も資産家の娘。しかし、アンネが誕生した当時、世界的な不況に見舞われ、父の銀行は業績が悪化していました。しかも、この頃からナチスが勢力を振るい始め反ユダヤ主義が急進したため、アンネ一家はドイツを離れオランダのアムステルダムへと逃げ延びました。

比較的穏やかだったアムステルダムでの暮らしも、1939年のドイツ軍によるオランダ侵攻で崩れ去ります。オランダ中がパニックに陥っていくのです。食料が配給制になり、映画館へのユダヤ人の入場が禁止され、やがて、ユダヤ人はすべての公共施設への立ち入りを禁じられました。1942年、すべてのユダヤ人はダビデの星の中央に「ユダヤ人」と書かれたマークを付けるように義務づけられます。

しかし、そんな中で思春期を迎えたアンネは恋も経験していました。そして、13回目の誕生日に父からもらった日記帳に最初の日記を書くのです。

『あなたになら、これまで誰にも打ち明けられなかったことを何もかもお話できそうです。どうか私のために大きな心の支えと慰めになってくださいね』1942年6月12日

こうして、後に世界中が読むことになる『アンネの日記』の有名な書き出しが生まれたのです。以来、アンネはドイツ軍の侵攻と隠れ家への移動やそこでの暮らしを克明に記録し続けました。しかし、そこにあったのは十代の少女の揺れる気持ち。隠れ家での様々な人間模様や外の世界に対する憧れが赤裸々に綴られているからこそ、『アンネの日記』は第一級の戦争の記録として、そして、平和を願う人々の礎として、後生に語り継がれているのだと思います。

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