#195「人の幸せを自らの幸せとした青い目の近江商人」ウィリアム・メレル・ヴォーリズ

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第195話

ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880〜1964)
米国に生まれ日本で活躍した建築家、実業家

アメリカのカンザス州で生まれたヴォーリズは、1905年、滋賀県立商業高校に英語教師としてやってきました。しかし、彼は熱心なキリスト教徒であり、布教活動を行うことも重要な役割だと考えていました。それが地方都市である近江八幡の町の考えとは相容れず、わずか2年で、ヴォーリズは教師としては解雇されてしまいます。

しかし、解雇以降、ヴォーリズは建築家、実業家として活動し、日本全国に大きな足跡を残しました。有名な建築物としては、近江八幡YMCA会館、日本基督教団京都御幸町教会、同志社大学啓明館、関西学院大学時計台、滋賀県立八幡商業高等学校、旧伊庭家住宅、旧ピアソン邸、駒井家住宅、旧ヴォーリズ夫妻自邸など、重要文化財に指定されているものも数多くあります。

教師を解雇された当時、ヴォーリズを師と仰ぐ生徒たちは多く、彼もそれに応えようとしたのか、日本に残り、学校や教会の建築に力を注ぎました。そして、その多くがそれぞれの地域で愛され続けています。また、1910年には伝道活動の資金を自ら生み出すためにスキンケア商品の製造販売を開始。これが後のメンソレータムの近江兄弟社へと続いていきます。

近江兄弟社はキリスト教の信仰に基づき、事業を通じて社会奉仕をするという精神を現在も継承。グループ各企業で、建築設計や病院、学校なども経営しヴォーリズの意志を受け継いでいます。

ヴォーリズは1964年に亡くなりましたが、1941年には日本に帰化。夫人の姓をとって、一柳米来留(ひとつやなぎ・めれる)と名乗りました。米来留(めれる)は、「米国から来て留まる」というヴォーリズの人生を表した洒落言葉でした。

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