#264「映画作りで35億円の借金を背負った歌手」さだまさし

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝264話

さだまさし(1952〜)
日本のシンガーソングライター

さだまさしは日本では知らない人はいないほどの売れっ子歌手です。フォークデュオ・グレープとしてデビュー。『精霊流し』でヒットを飛ばし、ソロになってからも『関白宣言』『北の国から』『雨やどり』『風に立つライオン』などのヒットを飛ばし続けてきました。

さだが映画を撮ろうと決意したのは1979年。ヒット曲を連発していた時期で、「これなら2億円くらいかけて映画が撮れる」と考えたそうです。内容はさだ家の歴史をひもとくもの。祖父や父母が青春時代を送った中国を訪問し、長江にそって町や人を撮影するドキュメンタリー映画でした。

しかし、まだ国交がスムーズではなかった時代の中国での撮影とあって、すべては困難を極めました。増え続ける撮影日数、重なる現場での混乱。結果、撮影規模は企画段階から大幅に巨大化し、2億円では到底足りず、28億円の融資を受けたと言います。28億円の収支は金利も含めて35億円の借金となりましたが、それでもさだは映画『長江』を完成させました。

映画はドキュメンタリーとしては配給収入5億円とヒットしましたが、制作費をまかなうまでには届かず、さだは以降、長年にわたってこの借金を返済するために年間100回以上のコンサートを続けることになりました。現在もさだのコンサートと言えば、トークの絶妙さが人気ですが、トークが磨かれたのも実は映画の借金があったから。年間100回以上のコンサートで喉を痛め声が出なくなるときもあり、それを乗り越えるためにトーク術を磨いたといいます。

映画制作から30年近くたった2013年。さだは日本武道館で通算4000回目のソロコンサート記録を達成しました。同時に、この日、映画『長江』で作った借金を完済したことも明らかにしたのです。大好きな音楽で稼いだお金を家族の映画のためにつぎ込み、さらに膨らんだ借金を歌うことで完済したさだまさし。破産宣告をせずに、声を枯らし、トークを磨き、コンサートをやり続けたことで、現在のさだまさしというアーティストが創り上げられたのだと思うと、その非常識なまでの才能と人間的な強さが伝わってきますね。

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