#265「原爆の父と呼ばれた男」ロバート・オッペンハイマー

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝265話

ロバート・オッペンハイマー(1904〜1967)
アメリカの理論物理学者

ロバート・オッペンハイマーは第二次世界大戦中に、ロスアラモス国立研究所の初代所長となったことで知られています。彼の役割はマンハッタン計画を主導し、原子爆弾を開発すること。そして、卓越した知識とリーダーシップによって原子爆弾を開発へ導いたオッペンハイマーは「原爆の父」と呼ばれることになります。

当時、原爆の開発が急がれていたのは、ヒトラー率いるドイツ軍よりも先に原爆を開発するため。ヒトラーの手に最新の化学兵器がもたらされてしまうと、世界が死に瀕してしまうという恐怖にも似た焦燥が世界を覆っていました。そして、白羽の矢が立てられたのがオッペンハイマー。しかし、皮肉なことに、彼はドイツからやってきたユダヤ系移民の子どもとしてニューヨークで生まれたという家系を持っていました。

オッペンハイマーはとても早熟な子どもだったようで、鉱物や地質学に興味を持っていました。また、数学や化学も得意で、言語に関しては6ヶ国語を話すまでになったそうです。しかし、その能力は第二次大戦中に、原子力爆弾の開発成功という恐ろしい怪物を生み出すことになってしまいました。オッペンハイマーたちは世界初の原子力爆弾を開発し、それは日本の広島、長崎に投下され多くの人々の命を奪ってしまいました。

この出来事はオッペンハイマーの人生を暗転させていきます。戦後、トルーマン大統領と面会したオッペンハイマーは「大統領、私の手は血で汚れているように感じます」と心情を吐露したそうです。トルーマンは憤慨。オッペンハイマーを「泣き虫」と罵ったそうです。失意に陥った彼は、その後の人生を核兵器競争を防ぐために使いました。しかし、米国政府はより強力な兵器を求め、水素爆弾の開発に着手。オッペンハイマーはもちろん反対しましたが、「水爆の父」と呼ばれたエドワード・テラーと対立することになりました。

このような経緯の中、共産主義を排除しようとするレッドパージが始まり、オッペンハイマーも公職を追放されてしまいます。1960年、オッペンハイマーは戦後の日本を訪れ、「科学時代における文明の将来」と題した講演会を開催。平和における科学の役割を力説したのです。そんな彼の言葉がアメリカで見直され、公職追放が間違いであったと認められたのは、2022年12月、1967年のこと。オッペンハイマーの死から55年が過ぎてからでした。

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