#273「ライト兄弟の100年前に空を飛んだ日本人」浮田幸吉

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝273話

浮田幸吉(1757〜1847)
日本の建具屋、鳥人

浮田幸吉が生まれたのは江戸時代の中期でした。現在の岡山県玉野市というところで生まれました。7歳で紙屋に奉公に出た浮田はそこで襖や障子などの建具づくりを学びます。その頃から浮田は鳥に興味を持ち始めたようです。奉公先で、空を飛んでいる鳥を見てその自由さに憧れたのか、科学的な視線で物事を見る才能があったのか。浮田は、鳥が飛ぶメカニズムをとても熱心に研究しました。

そして、浮田が導き出した答えは「鳥の羽と胴の重さを量って、その割合を導き出し、同じ割合の翼をつければ人間だって飛べるはず」というものでした。そこで役立ったのが建具師としての技術。浮田はその技術を応用して、竹で骨組みを作り、髪と布で翼を制作しました。強度をあげるために、表面には柿渋が塗られていたそうです。

何度も試作をくり返し、実際に飛んでみたのは1785年の夏でした。岡山の旭川にかかる橋の欄干から、大きな翼をつけた浮田は風に向かって飛び上がったのです。この時の結果は定かではありません。風に乗って数メートル飛んだという説と、真下に落ちたという説もあります。どちらにしても、夕涼みをしていた町の人たちは大騒ぎ。すぐに岡山藩の藩士に取り押さえられ、岡山から出て行けと追い出されてしまいました。

岡山から追い出された浮田は、駿河の国でも懲りずに空を飛び、そこも追い出されたそうです。しかし、同じ静岡の磐田市で飯屋を営み、妻子を得て平穏な余生を過ごしたといいます。磐田市の大見寺にお墓があり、戒名は「釋帝玄居士」となっています。

もし、彼が実際に空を飛んでいたとしたら1849年にジョージ・ケイリーが記録したグライダーによる有人滑空飛行の60年前のこと、ライト兄弟が動力飛行に成功する118年前のことになります。ちなみに、没後150年以上経った1997年、浮田の偉業が次第に知られるようになると、旧岡山藩主・池田家の当主である池田隆政は浮田の岡山所払いを許すという粋な計らいをしたそうです。

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