#274「 三重苦を乗り越え愛を伝えた人」ヘレン・ケラー

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝274話

ヘレン・ケラー(1880〜1968)
アメリカの作家・活動家

ヘレン・ケラーの名前は多くの人が知っていると思います。ヘレン・ケラーはアメリカのアラバマで生まれました。比較的裕福な家庭で生まれたのですが、彼女が生後19ヵ月のときに不幸が襲いかかります。ヘレンは高熱に見舞われたのです。医師たちの懸命の治療の甲斐があり、一命は取り留めましたが、彼女は視力と聴力を失いました。結果、「見えない、聞こえない、話せない」という三重苦を背負うことになってしまいました。

しかし、彼女の両親は希望を失わず、遠方にでもいい眼科がいると聞けば、連れていって診察を受けさせたのです。しかし、視力が回復することはありませんでした。そんな時、一家はグラハム・ベル博士に出会います。ベル博士は電話を発明した人ですが、彼が電話を発明したのは、家族に難聴者がいたことがきっかけでした。それもあって、ろうあ教育に熱心に取り組んでいたベル博士とヘレン・ケラー一家は出会い、サリバン先生を紹介してもらうことになります。

サリバン先生は5歳のときに病気で視力を失いました。そのため充分な教育もうけられずにいたのですが、たまたま孤児院に視察にきていた慈善事業の担当者に学校に行きたいと申し出たところ、盲学校への道が拓けたのだといいます。しかも、サリバン先生はその後、手術によって視力を取り戻しました。だからこそ、ヘレンの苦しみがわかったのでしょう。サリバン先生はヘレンに指で文字を伝える指文字を教え、どんどん新しい言葉を伝えていきました。

サリバン先生の献身的な教育によって、すべてのものに名前があるということを理解したヘレンは、様々な言葉を覚え、理解し、指文字で会話できるようになったのです。映画などでよく取りあげられる水を理解する場面は実際にあったことで、「ウォーター」という言葉がコップを指すのか、なかの液体を指すのかを理解した瞬間、ヘレンは言葉や名前が意味することの本質を理解したといいます。

この日を境に、頑固でかたくなだったヘレンは、素直になり、サリバン先生とヘレンはまるで親子のように姉妹のように、逆境へと立ち向かうようになったのです。ヘレンは憧れの大学にも入学して、学んだ後、世界各地をめぐって、ろうあ教育と福祉の重要性を訴え続けました。ヘレンは日本を三度訪れていて、彼女の来日をきっかけに「盲人福祉法」が立案され、それがのちの「身体障害者福祉法」の制定につながりました。

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