#277「元祖・二刀流としてホームラン王になった男」ベーブ・ルース

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝277話

ベーブ・ルース(1895〜1948)
アメリカのプロ野球選手

いま、アメリカだけではなく世界中で大人気を博しているプロ野球選手と言えば、大谷翔平です。そんな彼が、メジャーデビュー以来、たびたび比較されてきたのがベーブ・ルースです。2017年にエンゼルスに入団する際の会見でも、ベー・ブルースのことを聞かれ、「野球をやっている以上、少しずつでも近付きたいと思っています」と語りました。

大谷だけではなく多くの野球選手が、そして、野球ファンが「野球の神様」と尊敬するベーブ・ルースとはいった、どんな人物だったのでしょうか。ベーブ・ルースは1895年、アメリカのボルティモアで生まれました。ちなみに、ベーブ・ルースは彼の本名ではありません。本名はジョージ・ハーマン・ルース。ベーブは丸顔の童顔だったところから取られたニックネームです。

ルースは地元でも知られた不良少年でした。しかし、8歳で野球を知ってからは才能を発揮して、順調にキャリアを重ねました。1914年にはレッドソックスでメジャーデビュー。18年と19年の2年間は大谷と同じように二刀流としてプレーしました。ルースの活躍で多くの人々を魅了したのは、1932年のワールドシリーズです。ホームランを打つ方向をバッドで指し示し、予告通りその方向へホームランを放ったのです。

1934年には日米野球に出場するために来日。この時の日米野球が日本の野球関係者にも強い印象を残し、後のプロ野球誕生につながったと言われています。ベーブ・ルースが生涯に放ったホームランは714本、投手としても94勝をあげました。1948年8月16日にルースが亡くなった時には、ニューヨークのヤンキースタジアムに遺体が運ばれ、多くのファンがその死を悼みました。

記録を残すだけではなく、多くの人々の記憶に残る野球選手。ベーブ・ルースはまさにそんな存在でした。彼がなぜ、人の記憶に残る野球選手になれたのか。それは、彼のあきらめない姿勢が人の心を打ったからではないでしょうか。事実、彼の言葉はあきらめないことへのリスペクトに満ちています。曰く「三振したときに何か考えるか?ホームランを打つことだよ」曰く「ホームランを打ちたいなら、思いっきり振ることだよ」曰く「あきらめない奴には絶対に勝てない」などなど。常に次を見つめる姿勢で、ベーブ・ルースは記録にも記憶にも残る人物になったのです。

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