#278「香港に亡命し、香港を愛し、香港を守ろうとする男」ジミー・ライ

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝278話

ジミー・ライ(1947〜)
香港の実業家

ジミー・ライは、中国広州市で生まれました。中国の名前は黎智英(れい・ちえい)。7歳の時に、父親が香港へ亡命したことで、ジミーの人生は大きな変換点の迎えます。母親が労働改造所に送られてしまい、当時8歳だったジミーは知的障害をもつ姉と自分、そして、妹の三人の暮らしを支えなくてはならなくなりました。

まだ8歳という年齢のジミーにまともな仕事はありませんでしたが、鉄道の駅で乗客の荷物運びなどをして必死で稼ぎました。母が労働改造所から解放されてからもジミーは働き続け、一家を支え続けました。同時に、香港への密航するための費用も貯めて、1960年、12歳の時に、ジミーは香港へ亡命を果たしたのです。

香港へ渡った理由について、ジミーは自伝に書いています。「中国で荷物運びをしているとき、香港からの旅客はチップではなくチョコレートバーをくれたんです。その味に衝撃を受けた私は、『このチョコレートも香港から来たのか!香港は素晴らしいところに違いない』と思い、香港への亡命を決意したのです」と。

香港にやってきた時の所持金はたった1ドルだったそうです。翌日から手袋工場で働き、月給の半分は実家に送金しながら、ジミーは英語を独学で学びました。その後、紆余曲折を経て、ジミーは1981年にファッションブランド『ジョルダーノ』を設立。これが大ヒットして、世界中で認められるブランドとなりました。

香港に憧れ、香港で成功を手にしたジミー。その根底には当時イギリスに統治されていた香港の人々が謳歌していた「自由」がありました。ジミーはその自由の中で希望を持ち、お金を稼ぎ、実業家として成功を収めたのです。しかし、1986年に起こった天安門事件がジミーの人生を大きく変えました。

民主化を求める学生たちに多くの犠牲者を出した天安門事件以降、香港でも民主化運動が激化。ジミーはデモに参加する人々に共感し、自身のアパレルでも政治的なメッセージをプリントしたTシャツを大量に販売。これによってジミーのビジネスは妨害され、結果、ジョルダーノの株式を低価格で売り払わなくてはならなくなりました。ジミーはビジネスをアパレルからメディアへと転換。アップル・デイリー(蘋果日報)という新聞を発行し始めます。1997年に香港がイギリスから中国に返還されると、ほとんどの香港メディアは親中国に立場を変えました。しかし、ジミーは自分自身の人生の立脚点となった香港の自由を守るため、徹底した中国共産党批判を崩さず、香港政府との対決姿勢を鮮明にしていきました。

2014年の民主化運動である雨傘革命にもかかわり、同年12月にジミーは逮捕されたのを皮切りに、現在までに何度も逮捕・拘留が繰り返され、現在も釈放されないままです。そんな中、2021年にアップル・デイリーは廃刊を余儀なくされ、香港の民主化運動は中国共産党、香港政府によって強く抑えられています。それでも、ジミーは決して理不尽な権力の抑圧に屈することなく、大好きな香港が親の自由を失わないためにいまも獄中で戦っているのです。

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