世界を動かした非常識人列伝280話
メアリー・アニング(1799〜1847)
イギリスの化石コレクター、古生物学者
メアリー・アニングはイギリスの南部沿岸の村に生まれました。彼女の伝説は生後15ヵ月の時に始まります。1800年、まだ1歳と3ヵ月だったアニングは子守の女性に抱かれていたそうです。町にはサーカスがやってきて、とても賑やかだったのですが、突然の雨と雷。アニングを抱いた子守の女性は大きな木の木陰に入り、雨をしのいでいました。そこへ雷が落ちたのです。その激しい落雷はアニングを含め4人を襲いました。しかし、まだ1歳だったアニングだけが助かったのです。のちに、アニングの才能はこのとき雷に打たれたからだという伝説が生まれましたが、それほどインパクトの強い話だったのかもしれませんね。
さて、雷に打たれたからだと言われるほどに人々を驚かせたアニングの才能とはなんでしょう。それは、化石採集の才能です。実は、彼女の父親は家具職人だったのですが、化石を採集し、それを観光客に売って生計を立てていました。一家が住んでいた村はジュラシック・コーストと呼ばれる地点の中にあり、前期ジュラ紀には海の底にあったと言われる地層です。そのため、化石が多く見つかるポイントだったのです。
アニングは1811年、イクチオサウルスという魚竜の化石を発見。幼い少女が見つけた魚竜の化石は伝説となり地質学の世界とのパイプが出来たのです。その後も、アニングは独学で化石や地質についてに知識を習得し、発掘作業を継続。1823年には世界で初めての首長竜プレシオサウルスの全身の骨格を発見。1828年には翼竜プテロダクティルスの全身骨格を発見するなど、勢いが止まりません。化石魚スクアロラヤなど、様々な化石を採取します。
その名声はザクセン王国にまで届き、1844年にはザクセン王国の国王が、アニングが経営する化石店を訪問。博物館のために化石を購入するということもあったそうです。そんなふうに、アニングの名声は広がりましたが、けっして豊かな暮らしではありませんでした。そんななか、アニングは病魔に襲われます。地質学会がこれまでの功績をねぎらおうと年金を支給することを決定しましたが、すでに病魔はアニングの身体を侵していて1847年、彼女は亡くなってしまいます。その翌年、地質学会の会長はこんな演説をしました。「アニングは業績にふさわしい名誉を与えられてこなかったが、彼女がどれだけ地質学に貢献したかはみんなが知っている」と。