#282「『風と共に去りぬ』を名作にした女優」ヴィヴィアン・リー

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝282話

ヴィヴィアン・リー(1913〜1967)
イギリスの女優

ヴィヴィアン・リーはイギリスに生まれた女優です。彼女の名前を一気にスターダムへと押し上げたのは1939年の大作映画『風と共に去りぬ』でした。この作品で戦争を生き抜く強い女、スカーレット・オハラを演じ、リーはアカデミー主演女優賞を受賞。1951年に公開された『欲望という名の電車』でも、二度目の主演女優賞を受賞しました。

しかし、リーの人生はすべてが順風満帆とはいかなかったようです。リーは女優として名声を得る前から、情熱的な演技で知られていました。そんなリーに注目したのが名優ローレンス・オリヴィエでした。映画で恋人役を演じたオリヴィエとリーは現実にも、恋に落ちました。しかし、その当時、二人はともに結婚しており、いわばダブル不倫という状況でした。そんな中でもリーの強気な発言は収まる気配はなく、公然と「『風と共に去りぬ』が映画化されるときにはスカーレット・オハラは私が演じたい」とマスコミを言い放っていたそうです。

そんな話だけを聞くと、リーが後に演じたスカーレット・オハラ同様に強くたくましい女性のように思われるかもしれません。けれど、あれだけ繊細な演技が出来る女優です。実はデリケートな面を持っていて、マスコミ対応やオリヴィエとの不倫関係などに悩んでいたのでしょう。やがて、彼女は精神的に不安定になっていきました。それは、念願だったスカーレット・オハラ役を射止めてから特に深刻になりました。イギリスを遠く離れたハリウッドでの撮影では、監督との仲違いが激しく、オリヴィエに何度も長距離電話をかけて、愚痴をこぼしていたそうです。

しかし、完成した『風と共に去りぬ』はハリウッド大作として大ヒット。リーは一気にスターダムにかけあがり一世を風靡しました。その後、オリヴィエ、リー双方の離婚が成立し、二人は1940年に結婚します。しかし、リーの人生はこのあたりがピークとなってしまいました。次々と役を得て名声を高めていくオリヴィエとは対照的に、リーは役に恵まれなくなっていきます。さらにオリヴィエとの子を流産する不幸が重なり、リーは精神的な病を発症。リーとオリヴィエの間には、諍いが絶えなくなっていったそうです。

その美しさゆえにさまざまな男性との恋愛に振り回され、真剣に演技をしてもわかってもらえず、強い女のイメージとナイーブな感性の狭間で精神を病んでいったリー。しかし、映画監督のジョージ・キューカーは「彼女は完璧な女優だ。美しさが邪魔をしているくらいだ」とリーを語りました。

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