これまで、このコラムでは真空がいかに世の中の役に立っているのか、いかに不思議な力を持っているのか、ということをお伝えしてきました。しかし、これまでにお話ししてきたいろんな話題も「真空」「引力」「遠心力」などの科学用語がなければ説明できません。実はこれらの言葉のほとんどは江戸時代の中期まで、日本に存在しなかったのです。
つまり、西洋の新しい自然観や宇宙観が日本に紹介されたときに、一緒にその言葉も入ってきました。しかし、それまでその概念さえなかった言葉を日本語に翻訳するのは簡単なことではありませんでした。それを実現したのは江戸時代の蘭学者・志筑忠雄(しづきただお)という人物です。志筑忠雄(1760年〜1806年)は主に西洋の地理や海外事情などを書き表したオランダの書物を日本語に翻訳していました。
志筑はケプラーの法則やニュートンの万有引力の法則などについても翻訳しました。この翻訳が可能だったのは、志筑が文理の両方に通じていたからです。いくら、優れた理系の蘭学の書を手に入れても、それを理解して翻訳できる人がいなければ、日本で新しい科学の概念が広がるのには時間がかかったかもしれません。そう言った意味でも、志筑忠雄が日本で初めての科学者と呼ばれているのもうなづけますね。
さて、志筑が真空という言葉を生み出した背景には儒教の教えがあると言われています。儒教では「真に何もない空間は存在せず、そこには気が満ちる」と考えられていました。しかし、西洋の新しい科学では、「真に何もない空間がある」と考えられているということで、彼は「真空」という言葉を使用したようです。
難しい物理や科学のことをわかりやすく伝えた志筑忠雄。こんな先生が今の時代にいてくれたら、理系科目が苦手という人がもっと少なくなったかもしれませんね。