#61 「困難に打ち勝ち、世界で活躍した医学者」野口英世

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第61話

野口英世(1876年〜1928年)
ノーベル賞候補にもなった日本の医学博士

野口英世は福島県で生まれました。当時の名前は清作でした。まだ2歳の頃、いろりの中に落ちて、左手に大やけどを負ってしまいました。火傷した左手の指は癒着してしまい、大変不自由な思いをしたそうです。しかし、英世の母は、我が子が不自由な身体になってしまったからこそ、学問で身を立てさせたいと懸命に働き教育費を稼ぎました。そんな姿を見ていたからでしょう。英世自身も猛勉強をして、大変優秀な成績を納めました。

大きな転機となったのは高等小学校在学中に行われた左手の手術でした。一生懸命な英世の姿を見た恩師や友人たちが援助をしてくれて、左手の手術が行われたのです。この手術によって、英世の左手は少しだけですが動くようになりました。この時、英世は医学の素晴らしさに感動し、医学の道を志したのです。

1869年、普通は十年かかると言われていた医術開業試験をたった1年で合格。高山歯科医学院、や伝染病研究所、横浜開港検疫所などで働くようになりました。しかし、英世は医者としてだけではなく、研究者として活躍したいと思うようになり渡米します。そこで、ペンシルバニア大学の博士の助手として毒蛇の研究に没頭。この研究が評価されると、今度はデンマークの国立血清学研究所で細菌学を学びます。その後は、再びアメリカに戻り、ロックフェラー医学研究所で梅毒スピロヘータの研究で世界的に認められるように。ノーベル生理学・医学賞の候補にもなったほどその成果は高く評価されました。

最後はアフリカで黄熱病の研究をしている時に、自らも黄熱病にかかり51歳という若さで命を落とした英世。このように立派に活躍した世界の偉人ですが、なぜ改名したのかという謎が残ります。それは、坪内逍遙の小説に「野々口精作」という医学生が登場したからです。この医学生が自堕落な生活を送っているという設定。でも、そんなことを気にしなくても、と思うのですが、実は医学生時代の英世は自分も恩師から受け取ったお金をギャンブルや酒に使うというだらしなさ。まるで自分のことを言われているかのような気持ちになり、清作から英世と改名したそうです。

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