世界を動かした非常識人列伝 第188話
グリゴリー・ペレルマン(1966〜)
ロシア出身の数学者
2000年に発表されたミレニアム懸賞問題。アメリカのクレイ数学研究所が出題した100万ドルの懸賞金付きの問題です。全部で7つの問題があり、そのうちのひとつであるポアンカレ予想を見事に解き明かした人物がグレゴリー・ペレルマン、と書いているのですが、実は問題自体が完全文系の筆者にはなかなか難解なので、その問題を解いたグレゴリー・ペレルマンを紹介するということにスポットを当てたいと思います。懸賞問題とその解答については、読者それぞれで調べていただき、このコラムとしては「世界中の数学者がその叡智を持ち寄ってもまだ7問中1問しか解き明かしていない1問を説いたのがグレゴリー・ペレルマンである」という紹介に留めさせてください。
さて、ポアンカレ予想を説いたことで世界中の注目を集めたペレルマンですが、電気技術者の父と、数学教師の母との間に生まれました。幼少期から母の英才教育を受け、数学と科学の得意な少年として才能を発揮。16歳で国際数学オリンピックに出場、これは当時の最年少記録であり、しかもペレルマンはそこで個人金メダルを獲得しました。成績は全問正解の満点だったとそうです。
彼の友人たちはペレルマンの才能を高く評価していて「国際物理オリンピックに出場していれば、そこでも金メダルを獲っていたに違いない」というほど。しかも、当時のペレルマンはいつもニコニコしていて、友人たちからも周囲の人たちからも愛される好人物だったそうです。しかし、彼が有名になり、ポアンカレ予想解決に貢献したことで、数学界のノーベル賞と言われるフィールズ賞を受賞したあたりから、少し状況が変化してきました。
実はペレルマンはフィールズ賞を辞退したのです。「自分の証明が正しければ賞など必要ない」というのがその理由ですがそれ以外にも、自分が有名になるにつれて自分自身の研究だけに没頭することが許されなくなった状況がペレルマンには耐えられなかったようです。この頃、すでにペレルマンから笑顔は消え去っていました。2011年頃、彼の半生を映画化するという報道があり、それに関するペレルマンのインタビューが公開されたのですが、どうやらそれもねつ造だった可能性が高いと言われています。
ペレルマンはマスコミを避けるようになり、妹夫婦の滞在先であるスウェーデンに移住し、人付き合いを避けて趣味のキノコ狩りと、数学の研究を続けているそうです。彼から笑顔を奪ったのはいったいなんだったのか。成果を出し、有名になってもなお笑顔で研究が続けられなかったのか。そんなことを考えさせられますが、せめて、いまの彼がキノコ狩りと研究の日々の中で笑顔であることを祈りたいですね。