世界を動かした非常識人列伝 第117話
マリ・キューリー(1867年〜1934年)
放射能の研究で著名な科学者
日本ではマリ・キューリーよりもキューリー夫人という名前で知られていますね。キューリーは1867年にポーランドで生まれた科学者で、1903年にノーベル物理学賞を1911年にはノーベル化学賞を受賞しています。彼女の研究は後のガンに対する放射線治療へとつながる重要なものでした。
化学者であった父と教育者だった母との間に生まれたキューリーにとって、研究職へと進んだのは必然であったのかもしれません。しかし、彼女のキャリアは決して順風満帆なものではありませんでした。彼女は国を超えて学ぶ留学生であり、お金に苦労をした苦学生でもありました。女性が大学で学ぶことに理解のなかった時代。家庭教師でお金を稼ぎながら学ぶキューリーは、空腹で倒れたり、暖房費を払えず家の中で持っている服を全て着込んでいたりしたそうです。そんな努力が実って、やがて大学を卒業した彼女は同じ科学者であったピエールと結婚、公私ともにパートナーとして研究に打ち込む生活へと入りました。
そして、1903年にはノーベル物理学賞を受賞します。しかし、その3年後キューリーを悲劇が襲います。夫が荷馬車に轢かれて亡くなってしまったのです。失意の底に突き落とされたキューリーですが、決して絶望に負けたりはしませんでした。娘を育てながら研究を続け、フランス初の女性大学教授に就任するという偉業を成し遂げます。が、ここで彼女は大きなスキャンダルに見舞われます。それは妻子ある年下の科学者との不倫騒動。マスコミに証拠の手紙が渡り、新聞の見出しを飾ってしまうのです。しかも、それは2度目のノーベル賞受賞式の3日前でした。
キューリーが残した「私は完璧を怖れない。誰も完璧に到達することなんてできないんだから」という言葉があります。これは、2度のノーベル賞受賞という偉業を達成しながら、恋に翻弄されたキューリーの人生そのものを表しているのかもしれません。2度目のノーベル賞授賞式、キューリーは気丈に式典に出席しました。