#118「天国の門から地獄へ堕ちた映画監督」マイケル・チミノ

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第118話

マイケル・チミノ(1939年〜2016年)
アメリカの映画監督

マイケル・チミノは1978年に監督した『ディア・ハンター』で驚くべき栄光を手にしました。アカデミー賞の作品賞・監督賞・助演男優賞・音響賞・編集賞を受賞。全世界で大ヒットしました。当時、チミノはまだ39歳という若さでした。極限状態の人間ドラマを骨太に演出したチミノには映画界からの期待が集まりました。どの映画会社も「次の新作はぜひ我が社で!」とオファーが殺到したのです。

チミノはそんな中からユナイテッド・アーティスツ社(UA)と組み、『天国の門』を監督しました。しかし、この『天国の門』は、アメリカ映画史上希に見る呪われた映画となってしまったのです。予定されていた当初の予算は1100万ドルでした。これが最終的には4400万ドル(約80億円)に膨れ上がった原因はチミノのこだわりにありました。ほとんど写らない機関車のシーンのために、本物の機関車をオープンセット内に走らせたり、「馬が通れない」という理由でセットを改築させたり、膨大な数の撮り直しを命じたり…。おそらく、チミノ監督も自分を見失っていたのでしょう。最終的に完成した作品は5時間30分という大長編になっていたのです。

さすがにこの長さでは興行が難しい、ということでUAが難色を示したため219分に再編集されたのですが、この評判がすこぶる悪い。あまりの評判の悪さにさらに短縮され最終的には149分になったのです。しかし、これだけ短縮されると物語の構成は破綻してしまい、その評判はさらに地の底へ。映画はまったくヒットせず、興行は1週間で打ち切られました。結局、この作品の興行成績は348万ドルとなり膨大な赤字を出してしまったのです。

この結果、制作会社であるUAは経営危機に追い込まれ、マイケル・チミノ監督は数年間仕事を干されることになります。まさに映画『天国の門』は地獄へと通じる道になってしまったのです。公開から5年経った1985年、チミノは『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』で復帰しますが、以前のような自由な制作はできず、ヒット作を出せないまま2016年。自宅で亡くなりました。

しかし、チミノの『ディア・ハンター』は今も名作として世界中で公開されています。また、『天国の門』もヨーロッパ、日本では評価が高く、2016年には216分のディレクターズ・カット版が公開されました。

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