#203「トロイの遺跡を見つけた男」ハインリヒ・シュリーマン

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第203話

ハインリヒ・シュリーマン(1822〜1890)
ドイツの考古学者、実業家

シュリーマンは考古学者として大きな功績を残しています。なかでも、もっとも大きな功績と呼ばれているのがトロイの遺跡の発見です。しかし、シュリーマンはもともとは考古学者ではありませんでした。子どものころから古代都市の発掘を夢見ている少年ではありましたが、実際に考古学の勉強をし始めたのが40代から。シュリーマンは1836年に食料品店の見習いとなり、1841年にはベネズエラ行きの汽船の船員となったそうです。しかし、その船が難破。オランダに流れ着き、そのままオランダのアムステルダムで働きます。

22歳で貿易商となり、1846年にロシアのサンクトペテルブルクでの勤務を経験します。この時、ロシア語とギリシャ語を学んだことが彼の語学に磨きをかけます。彼は生涯で13ヵ国の言葉を習得したと言われていますが、それが考古学者として世界への冒険に駆り立てる原動力になったのかもしれませんね。

1850年にはアメリカのゴールドラッシュの波に乗り、彼はアメリカへ渡り、巨万の富を手に入れます。40代を前に、仕事を引退してもかまわないほどの富を手に入れ、40代に入ると、シュリーマンは子どもの頃からの夢であった考古学を本格的に学び始めました。さらに富に物を言わせ、遺跡の発掘にも挑戦。トロイ遺跡、ミケーネ遺跡、ティリンス遺跡の三つの有名な遺跡を発見したことでシュリーマンは考古学者としての名声を手に入れたのです。

シュリーマンに対する現在の評価は賛否分かれるのですが、実際に遺跡を発見したというい功績はやはり高く評価されています。ただ、彼自身が考古学者としては未熟なところも多く、せっかくの遺跡を傷つけたりしている部分が多いという非難があるのも事実。しかし、シュリーマンの好奇心やお金に任せた功名心にも、歴史を実証していく力が合ったことは間違いありません。

そういえば、シュリーマンは日本にも来日しています。日本では横浜、江戸、八王子を見て回り、その詳細が記録として保存されています。その記録を見ると、日本の文化や食生活に対して先入観からくる偏見を持たずに詳細に記述されています。そういった部分を見ると、シュリーマンには見たものを素直に記録し、判断していくという考古学者にふさわしい資質があったようです。

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