#251「そこにエベレストがあるからだ、と夢を追った男」ジョージ・マロリー

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝251話

ジョージ・マロリー(1886〜1924)
イギリスの登山家

1920年代、イギリスは国威発揚をかけて世界最高峰の山・エベレストの初登頂を目指していました。当時は登山家も厚手のジャケットや鋲を貼り付けただけの靴で山を登っていた時代。優れた道具もない中で、エベレスト登頂は現在では考えられないほどの困難を伴う偉業だったのです。だからこそ、イギリスの国力を世界中に示すためにも、どの国よりも早くエベレストの山頂を踏破する必要がありました。

ジョージ・マロリーは三度、エベレスト遠征隊に参加しました。失敗を繰り返しながらもなぜエベレストを目指すのかと聞かれ、マロリーは「そこにエベレストがあるからだ」と答えました。日本では「そこに山があるからだ」という誤訳で有名になっていますが、もとはマロリーの言葉だったのです。

第一次遠征隊がエベレストを目指したのは1921年。この時は本格的なエベレスト登頂に備えた下準備的な遠征でした。しかし、マロリーたちは順調にエベレストと呼ばれる山脈に足を踏み入れ、確実な成果を上げました。翌年、第二次遠征隊は前年の成果を引き継ぎ、なんとしてもエベレストの山頂を踏破することを目指しました。しかし、7人のシェルパ(現地人の山岳ガイド)が命を落としてしまうという不幸に見舞われました。これによって遠征隊は批判にさらされますが、それでも1924年に第三次遠征隊は出発。3月にインドのダージリンに到着。4月28日ベースキャンプを設営。そこから次第に高度をあげ、6月6日には山頂を目指しました。マロリーが行方不明となったのは6月8日。おそらく8日か9日に命を落としたのだろうと言われています。

イギリスのヒーローとなっていたマロリーの死は衝撃をもって迎えられました。首相や国王も参列した葬儀は盛大だったそうです。マロリーの悲願であったエベレスト登頂がエルモンド・ヒラリーによって果たされたのはその9年後の1953年でした。では、マロリー自身は山頂に到達していたのでしょうか。1999年、マロリーが山頂付近で行方不明になって75年以上たってからその遺体は発見されました。遺体のあった場所や状況を見れば謎が解けると考えられていましたが、いまもマロリー自身が山頂に立ったかどうかは賛否が分かれ、謎のままになっています。

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