#250「世界に愛されたイギリスの元妃」ダイアナ

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝250話

ダイアナ(1961〜1997)
イギリスの元王妃

1981年7月29日、イギリスのセント・ポール大聖堂で執り行われたチャールズ皇太子とダイアナとの結婚式は全世界70ヵ国に中継され、約7億5000万人もの人々が見守ったと言われています。世界中がはにかんで微笑むダイアナを愛し、その幸せを願いました。当時、ダイアナは20歳。その若さと美しさはダイアナフィーバーと呼ばれるほどの人気を巻き起こしました。チャールズ皇太子とダイアナ妃が東京に訪れた時には、約10万人が車に手を振ったそうです。

しかし、その幸せの絶頂からダイアナの人生は暗転します。夫であるチャールズの不貞。人気故のプライバシーの侵害。ダイアナはメンタルを病み、過食症に陥りました。後のインタビューにダイアナは「自尊心が失われ、自分に価値がないと思うようになってしまったの」と語っています。やがて、ダイアナの情緒は安定しなくなり人前で涙を見せたりすることが多くなりました。

子どもを授かってからもチャールズの不貞は収まることなく、ダイアナは子育てと恋愛へ逃げ場を見つけるようになりました。結婚生活が破綻し、チャールズとダイアナは離婚。慈善事業にのめり込むように取り組みました。エイズ問題、ハンセン病問題、地雷除去問題などにも熱心に取り組み、1996年にはアメリカで「今年の人道主義者」としてニューヨークでの授賞式に出席もしています。

しかし、ダイアナへの人々の関心はもっと無邪気で残酷なものでした。パパラッチと呼ばれる報道関係者が365日24時間、彼女にカメラを向け、そのプライバシーを奪い続けました。そんなストレスもあったのか。ダイアナはパキスタン人の心臓外科医・ハスナット・カーンと、エジプトの大富豪の息子・ドティ・アルファイドの両方と交際をするなどして、より多くの人たちの好奇の目にさらされる状況に陥ってしまったのです。

1997年8月30日。ダイアナは恋人であったドティとパリに滞在していました。そして、食事をとったホテルからドティの住まいに移動しようと外に出た途端、何台ものパパラッチの車に追跡されたのです。しつこいパパラッチを巻こうと猛スピードを出すダイアナたちの車。コンコルド広場からアルマ広場へ向かった車はトンネル内で接触事故を起こしました。ダイアナたちが乗っていた車は中央分離帯に激突。この事故でダイアナは帰らぬ人になってしまいました。

享年36歳。世界中が愛し、祝福したダイアナの最後はあまりにもあっけなく、そして、悲劇的でした。そんな悲劇に彼女の人生を導いたものはなんだったのか。それは、皇太子妃となっても、純粋にひとりの女性として愛を求め続けたからということに尽きるのではないかと思います。だからこそ、様々な憶測による妬みや悪意が向けられた後にも関わらず、ダイアナの葬儀はテレビ中継され、イギリスで3210万人が、世界中で推定25億人が視聴し、死を悼んだと言われています。

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