#253「戦後、孤児のために施設を作った人」沢田美喜

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝253話

沢田美喜(1901〜1980)
岩崎弥太郎の孫、社会事業家

沢田美喜は三菱財閥の創業者である岩崎弥太郎の孫娘として生まれました。夫はクリスチャンの外交官・沢田廉三。結婚と同時にキリスト教徒となった沢田は、夫の転勤にもロンドン、パリ、ニューヨークとついて行きました。世界を実際に見て回った経験があったからか、クリスチャンとしての教えか、それとも沢田が生まれ持った資質なのか、戦後の日本で数多く生まれた国際孤児の存在に彼女は心を痛めました。

国際孤児はアメリカを中心とした連合国軍の兵士と日本人女性の間に生まれた子どもたちで、その多くは戦後の混乱期に親からも社会からも見放されていました。沢田はそんな国際孤児を守るために、大磯の岩崎別邸内にエリザベス・サンダース・ホームを開設。そこで孤児を保護し、手厚く育てたのです。

三菱財閥の孫娘とは言え、沢田が戦後にホームを始めたときにはGHQによって財閥は解体されており、資金繰りは困難を極めたそうです。しかも、戦争の恥部とも言える国際孤児を保護する施設は、GHQにも日本政府にも迫害されました。しかし、沢田は決してめげることなく、ホームの寄付金を募るためにアメリカで講演会を開催。そこで、女優グレース・ケリーとも親交を持ちました。グレース・ケリーはモナコ公妃となったあとも沢田の良き理解者として支援を続けたそうです。

沢田の粘り強い奮闘と、資材を投げ打った活動は少しずつ実を結び、やがてホームの小学校、中学校を設立。1962年にはブラジルに聖ステパノ農場を設立。卒園生の多くがブラジルに移住し活躍しました。

晩年、沢田美喜は苦労続きの人生をこう振り返りました。「娘がお嫁に行くとき、指輪も買ってやれなかった」と。しかし、沢田の苦労をいとわない取り組みは、数多くの国際孤児に正しい人生を歩むための道筋を示したのです。

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