#184「「57」にグロタンディーク素数という名を与えた天才」アレクサンドル・グロタンディーク

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第184話

アレクサンドル・グロタンディーク(1928〜2014)
フランスで活躍したドイツ出身の数学者

「57」という素数を知っていますか? 数学に詳しい人なら、「え?57は3=19で合成数じゃないの」とすぐにわかると思います。しかし、フランスの天才数学者であったグロタンディークは講義の最中に「57」を素数としてあげてしまいました。もちろん、すぐに訂正されたのですが、天才数学者の小さな間違いはグロタンディーク自身の不思議な魅力と相まっていまもジョークとして伝えられています。

さて、そんなグロタンディークですが、彼は幼い頃から数学の天才として注目を浴びます。そして、順風満帆な研究者としての道を歩み、代数幾何学に新しい光を当てました。また、数論幾何という用語も提案。グロタンディークは若手の育成にも熱心でした。若手数学者集団ブルバキの中心的なメンバーでもありました。これらの成果が認められ、1966年にはフィールズ賞も受賞しています。

しかし、彼の人生が順調なのは1960年代まででした。1970年代に入ると、グロタンディークはそれまでの人間関係をすべて解消し、隠遁生活を始めたのです。それはおそらくナチスドイツの勢力が拡大するベルリンでアナキストの両親のもとに生まれたという出自によるものだったと思われます。彼は次第に数学者としては過剰だと思われるほどの反戦運動と環境問題にのめり込んだのです。そして、自分が所属していた研究所が軍の資金援助を受けていると知って激怒。その時から、自らを「好戦的公道主義者」と呼び行動し始めます。

1980年代に入ると、精神的に不安定となりピレネー山脈の小さな村へ恋人と移住。1991年には数千ページの原稿を焼き捨てて消息を絶ちます。その後、消息不明だったグロタンディークですが、2010年にはかつての教え子に依頼してネット上にあった自らの著作物を大量に削除。そして、すべてに決着をつけたかのように2014年フランス南西部の街で息を引き取りました。

グロタンディークの死後数年してから、彼の弟子によって手書きで残された1万8000ページにも及ぶメモが公開されました。グロタンディークが「いたずら書き」と呼んだという膨大なメモを見た母校の研究所所長は「このメモを解読するだけでも何人もの専門家が取り組んでも数年はかかるだろう」と言い、さらに「書かれていることを理解できる人は世界に数百人だと思う」と語ったそうです。

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