#185「自らの才能に振り回された天才ミュージシャン」ブライアン・ウィルソン

非常識人列伝

世界を動かした非常識人列伝 第185話

ブライアン・ウィルソン(1942〜)
ザ・ビーチ・ボーイズのリーダー

ビーチ・ボーイズと言えば、日本の山下達郎や桑田佳祐も熱烈なファンであることを公言しているほどのロックバンド。ビートルズのポール・マッカートニーもその作品を絶賛したほどです。そして、ビーチ・ボーイズを創り出し、バンドのカラーを決定付けた存在がブライアン・ウィルソンでした。

ビーチ・ボーイズのライバルはほぼ同時にデビューしたビートルズでした。彼らは互いにリリースするアルバムを意識し、それを越えようと切磋琢磨していたと言います。ビートルズにはポールとジョンという二人の天才がいて、そんな二人に負けたくないと努力を続けたジョージがいました。さらにそれをまとめることができる人格者のリンゴも。しかし、ビーチ・ボーイズには天才はブライアン一人しかいなかったのです。これがそもそもの悲劇でした。

デビューもレコード会社の意向でバンド名を変えられてしまい、曲調も当時流行していたサーフィンソングを求められたのです。ブライアンの才能をもってすればそれに応えることは簡単でした。しかし、彼の才能はそこに留まることを許しませんでした。60年代、イギリスのビートルズとアメリカのビーチ・ボーイズはアルバムごとに挑発的とも言える芸術性を爆発させました。

ブライアンが1966年に完成させたアルバム『ペット・サウンズ』は傑作と名高い作品で、ビートルズの『ラバー・ソウル』の影響を受けたと後にブライアン自身も語っています。また、『ペット・サウンズ』はビートルズにも逆に影響を与え、プロデューサーのジョージ・マーティンは『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』は『ペット・サウンズ』に追いつきたくて作ったアルバムだと語っています。

しかし、『ペット・サウンズ』をリリースしてからのブライアンは、このアルバムを越えなければという極度のプレッシャーからなかなか次作を作ることが出来なくなってしまいました。なにしろ、バンドの中に創造性のある人物は自分一人。作詞作曲、演奏、ボーカル、さらにプロデュースやバンドのまとめ役もすべてがブライアンの仕事だったのです。そして、ついに1967年にブライアンは壊れます。スタジオに放火しようとしたり、レコード会社の重役の奥さんに向かって「悪魔だ!」と暴言を吐いたり。当然、アルバムの制作は中止。ブライアンは引きこもりとなりドラックに溺れていったのです。

その後、ソロに転向したブラインは少しずつ活動を再開。2002年にはエリザベス女王在位50周年記念イベントに、アメリカを代表するミュージシャンとしてゲスト出演しました。自らの才能で頂点を極め、そのせいで地獄のような日々も体験したブライアン。80歳を越えたいまも創作活動を続けています。

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